今だから言いたい‼ 不登校のこと

小4から中3までの5年にわたる娘の不登校。不安、悲しみ、怒り・・・そして感謝。

中学校の卒業式

中学校の卒業式は小学校の時と同じで、本来の卒業式のあとに、別室で行なっていただいた式に出席しました。

 

ですが、大きく違ったのは

 

『1人ではなかった』

 

という点です。

 

別室での卒業式に出席していた生徒は全部で8人ほどいました。

先生方は三学年の担任の先生方全員と、校長先生、教頭先生など、15人ほどいらっしゃいました。

保護者も含めると、教室いっぱいになるほどの人数でした。

 

卒業証書授与のとき、名前を呼ばれた娘は大きな声で返事をし、校長先生の前に進み、証書を受け取ったあと、きちんとお辞儀をしていました。

 

3年前の、校長室での一人きりの卒業式のときと比べると、娘の成長を感じずにはいられませんでした。

 

 

人の視線が気になり、外に出ることができず、自宅で悶々と過ごした日々。

 

3年生になり登校することを前提として頑張った日々。

 

受験を目前にし塾に通い始め、勉強を頑張ったけど、なかなか合格をもらえない厳しい現実にぶつかり、不安で眠れなかった日々。

 

 

本当によく頑張った!

 

成長した!

 

 

式が終わり、担任の先生やお世話になった保健室の先生と一緒に写真を撮り、笑顔で話をしている娘の顔を見ながら、そんなことを考えていました。

 

その時はまだ、最後に受けた高校の合格発表の前だったので、進学先が決まっておらず、正直、娘も私も気持ちは穏やかではありませんでした。

それでも、この日のこの時間は、娘の成長と、娘の笑顔を見ることができる幸せを感じていたのです。

 

 

ところが、帰宅した娘が急にプリプリして、

 

「もう◯◯先生むかつくー!」

 

というのです。

 

聞くと、別室を担当していらっしゃった先生から、こう声をかけられたと言うのです。

 

 

「あなたもやっと高校に入ってレールに乗ることができるんだから、がんばらなきゃいけないよ。そして、勉強して大学に行くんだよ。」

 

 

レールに乗る?

 

大学に行く?

 

 

その先生からすると、

 

当たり前に学校に行き、勉強し、大学まで進学して就職する

 

それがレールであり、そのレールに乗ることが一番よいこと、なのでしょう。

 

ですがそれは、その先生の個人的価値観にすぎません。

 

確かに、それが一番よいと考えている人が多いかもしれません。実際、私も、親が勧めるそのレールに乗って就職しました。

 

大卒のほうが就職しやすかったり、最初の給料がよかったりするのも事実です。

 

でも、周りを見回してみてください。

 

幸せそうな人は大卒の人でしょうか?

 

そうとは限りません。

 

幸せそうな人は、

 

人のために働いている(動いている)人

 

そして

 

大切に思う人がいる人

 

だと私は思います。

 

そこには学歴は関係ないのです。

 

娘には、人のために働ける人になって欲しい。そして、大切に思う人を見つけて欲しい。

 

大多数の人が乗るレールでなくていいのです。

娘らしい人生を送って欲しいと思います。

卒業アルバム

小学6年生、中学3年生は卒業アルバムを購入します。

希望者のみの購入のところもあると思います。

その場合、不登校の子は、行事に参加してないし、クラス集合写真にも写れるかわからないし、ましてやそんな

 

黒歴史のときの自分の姿なんて見たくもない!

 

という理由で、アルバムはいらないと言うと思います。

 

 

それでも、

 

絶対に購入しておいたほうがいい!

 

です

 

なぜなら、

 

卒業アルバムは後で購入することができない

 

からです。

 

子供が大人になったときに、やっぱり懐かしくなったり、友達を確認したくなったりしても、アルバムは手に入らないのです。

 

うちの子の場合は、小学校は全員購入でしたので特にもめることもありませんでした。

クラス集合写真も、なんとかみんなと一緒に撮影できました。

 

 

問題は中学校の卒業アルバムでした。

 

中学の時、娘は体育祭以外の行事はほとんど参加しませんでした。

体育祭も救護テントにいただけで、競技には参加していません。中学生活で一番のイベントともいえる修学旅行はもちろん、文化発表会、クラスマッチなどの行事は何も参加していないのです。もちろん部活にも入っていません。なので、卒業アルバムといっても、個人写真とクラス集合写真以外は載らないのです。

 

ちなみに、クラス集合写真は最初は写らないと言っていたのですが、なんとか一番端に紛れ込むことかできました。

 

 

(もし一緒に写ることができなくても、別に一人で撮った写真をあたかも一緒に写ったかのように加工してもらえます。)

 

 

中学校は希望者のみの購入で、10月くらいに申込用紙を提出しなければなりません。

 

なんとかクラス集合写真も写ることができたのに、やはりアルバムはいらないといいます。

「申込みしないで!」と。

 

なので、

  

「あなたがいらなくても、ママが欲しいから買うんだよ。」

 

と言って、私が申込用紙を学校に持参しました。

 

 

娘が中学を卒業して高校生になり、ゴールデンウイークが明けたころに卒業アルバムが郵送されてきました。

 

なつかしい校舎が印刷されたアルバムケースを見ながら、色んな思いが込み上げてきます。

 

こっそり中を見てみると、クラス集合写真に少し申し訳なさそうに写っている娘がいます。

 

確かに私たちにとって辛い時期でした。

 

でも、

 

やっぱりアルバムを申し込んでいてよかった

 

と思いました。

 

 

何度も保健室に娘の給食を運んでくれた子の顔。

 

→自分の給食を食べる時間が短くなるのに、毎日毎日運んでくれてありがとう。

 

 

別室登校を始めたころ仲良くなった子の顔。

 

→あなたのおかげで娘は継続して登校できるようになったよ。ありがとう。

 

 

何度もわが家に足を運んでくださった保健室の先生の顔。

 

→親の私よりも繊細な娘の気持ちを理解してくださって、何度も娘が救われました。ありがとうございました。

 

 

辛かったことよりも、感謝の気持ちのほうが沸き上がります。

 

 

そっと閉じたアルバムを、わざと娘の目につくようにリビングのテーブルの上に置いておきました。

 

高校から帰宅した娘は何も言わずパラパラとアルバムをめくり、何もなかったかのようにテーブルの上に戻していました。

 

娘の本心はわかりませんが、嫌だったらアルバムを手に取ることもしなかったでしょう。

 

今は、娘の部屋のクローゼットの中にしまい込んでありますが、きっといつか懐かしい気持ちでアルバムを開く日が来ると信じています。

 

あとで欲しくなっても手に入らない卒業アルバム。

子供がいらないと言っても購入することをお勧めします!

入浴拒否

不登校になるとお風呂に入ったり、歯を磨いたり、という基本的な生活習慣がなかなかできなくなることがあります。

 

親としては、特に入浴は不衛生が気になり、子供にしつこく入るように言ってしまいます。

 

 

ですが

 

たとえ1〜2週間(いいえ3週間でも!)お風呂に入らなくても、歯を磨かなくても死ぬことはありません!

 

   

そんな時は無理強いせずに、その気力が回復するまで待ってあげたほうがいいです。

 

娘が小学6年生くらいまでは、夜に歯を磨かないでいると、主人が後ろから抱え込んで洗面所まで連れて行ったりしていました。

 

もちろん、怒った顔はしません。

 

笑いながら、抱えて連れて行くのです。

 

娘も、「やめてよー」と笑いながら応戦します。

 

でも2人の本心はどうだったのてしょうか?

 

きっと主人は

 

「仕事で疲れているのに、いいかげん歯磨きくらい言わなくてもしてよ。」

 

と思う時もあったでしょう。

 

 

一方で娘は

 

「もうほんとにきついんだから、歯磨きくらいいいじゃん。やめてよ。」

 

と思う時もあったでしょう。

 

 

少し前に、娘に聞いたことがあります。

 

「中学の時さ、なかなかお風呂に入らなかったよね?どうして?」

 

「お風呂は鏡があるから。あれで自分の姿を見るのが嫌だった。それに、お風呂で一人きりになると学校のことをつい考えてしまうから、あれも嫌だった。」

 

と言っていました。

 

 

鏡で自分の姿を見るのが嫌だったそうです。

 

歯を磨かなかったのも、洗面所の鏡が嫌だったのでしょう。

 

入浴や歯磨きのほか、美容室に髪を切りに行くことも嫌がっていました。

 

美容室に行って人と会うのが嫌なのと、これもまた大きな鏡で自分を見ることになるのが嫌だったのでしょう。

 

女子は結べばいいので、まだいいのですが、男子は大変ですね。

 

 

でも、たとえお風呂に入らなくても、歯を磨かなくても、髪を切らなくても大丈夫!

 

その子の気力が回復し、外に向かえるようになれば、清潔にしたいと自然に思うようになるので、言わなくてもするようになります。

 

 

高校生になった娘は、お風呂に入ったらあと、歯を磨きながら出てきます。

 

朝の登校前は、鏡の前できちんと身支度してから出かけます。

 

 

 

『サイレントマジョリティー』

 欅坂46

 

 サイレントマジョリティー

  

 

という曲があります。

 

娘が中学の時によく聞いていて、カラオケに行くと私も一緒に歌ったりしていました。

 

 

サイレントマジョリティーの意味は「物言わぬ多数派」(ウィキペディア)だそうです。

 

 

私はこの曲を聞くたびに涙が出るのです。

 

 

歌詞の中に

 

「君は君らしく 生きていく自由があるんだ 大人たちに支配されるな」

  

とあります。

 

 

学校に行き、みんなと同じように授業を受けることを望んでいる自分。

 

がいる反面

 

もっと自由に個性を伸ばしてあげることのほうが大切なのでは?と自問する自分。

 

もいました。

 

 

『君は君らしく』(娘には娘らしく)

 

いてほしいのに、「当たり前」や「普通」にとらわれているのは大人である私自身だと思うのです。

 

『自分らしくいたい』 

 

ともがいている娘を、心の底からの理解をしてあげられない申し訳なさ。

 

列に並び、みんなと同じ方向を向いて歩くことができていれば、こんなに苦しまずにすんだのにと、思うこともありました。

 

 

娘が中学2年のとき、学校に校則があることを極端に嫌がった時期がありました。

 

なんで髪を染めたらだめなの?

なんで髪を結ばないといけないの?

なんでビアスをあけたらだめなの?

なんで制服を着なきゃいけないの?

 

たまに保健室登校する時も、制服を着たくないと私服で行っていました。

 

もちろん思春期だというのもあると思いますが、海外にいるときに、小さい子がピアスをしていたり、学生が学校に行く時もメイクをし、長い髪をなびかせている様子を見てきていたからかもしれません。

 

なんでなんでと問われても、勉強するのに気が散るからじゃない?というようなことしか言えませんでした。

 

そこで、娘はネットで色々検索し、一番納得のいく答えを見つけたようでした。

 

それは、

 

「社会に出たら、ああしなさい、こうしなさいと色々うるさく言うおじさん、おばさんがいるから、校則はそう言われた時のための訓練をするためにある」

 

というような内容でした。

 

 

高校生になった今でも、もちろん校則はあります。制服です。

 

でも、こっそり、少しだけ破りながも、基本的には校則を守っています。

 

 

『自分らしく』いることは、全てが自由ということではありせん。色々なルールがあって社会が成り立っていて、その中で『自分らしく』生きていく。

 

 

最近、この曲を耳にして思ったことは

 

はたして私は『自分らしく』生きているのだろうか?

 

ということでした。

 

娘が不登校の時は、娘ばかりを当てはめて考えていたのですが、今は、私は?と考えます。

 

娘に『自分らしく』生きてほしいと願うのならば、まずは私が『自分らしい』生き方ができるように、『サイレントマジョリティー』にならないようにしたいと思うのです。

いきしぶり

子供が朝、体調不良をうったえて学校に行きたくないと言ったら

 

「じゃあ今日は休んでゆっくりしようか!」

 

と言ってあげてほしいです。そして、じっくり話を聞いたあげられたらと思うのです。

 

仕事があるのであれば、帰宅してからでもゆっくり聞いてあげたらいいですよね。

夕食は買ってきた惣菜で十分です。その子の好きな物だといいですよね。家事は後回しにして、このときは子供に寄り添う時間を最優先にすべきです。

 

 

娘が小学4年生の二学期の終わりくらいから、朝になるとお腹が痛い、頭が痛い、と言い出しました。それを聞いて、私は

 

ただの体調不良 

 

だと思っていました。

最初のうち、娘は「学校を休みたい」とは言わず、ただ体調の不良だけをうったえました。

なんとかその症状をおさえるべく、トイレに行ったら?とか、頭痛薬飲む?とかしか言っていませんでした。そして、なんとかごまかしながら登校させていました。

 

よーく子供のことを観察していれば、ただの体調不良なのか心の問題なのか、わかったと思います。でも、私はそれが全くできていませんでした。

 

この頃、娘はすごく無理をして登校していたのだと思います。

「実は・・・帰国子女です。」

にも書きましたが、久しぶりの日本での生活と中学生活に慣れようと少し不安定になっている長女に遠慮して、私は頑張らないと、と思っていたようです。

 

でも、本当に疲れはててしまったのでしょう。3学期になると学校を休む日が増えてきました。

そのころ、夜もなかなか眠れないようになってきたので、アロマオイルで足をマッサーシしてあげたりしていましたが、マッサージしながら話してくれたのがスクールカーストのことや男子のことでした。(これも『実は・・・帰国子女です』に書いてます)

 

こうして書いていると、ますます私がいけなかったのだと気づかされます。

 

体に不調が出始めたということは、もうその子の限界を超えてしまっているのだと思います。

それなのに無理矢理登校させていたことを、本当に申し訳なく思うのです。

 

いきしぶりが始まったとき、このタイミングが一番大切です。ここで対処を間違うと、娘のように長い長い不登校のトンネルへと迷い込んでしまうことになります。

 

知り合いの息子さんが小学6年生のときに、突然、「今日は学校行きたくない」と言ったそうです。それを聞いてその人は、

 

「よし、じゃあ今日は休みなさい!」

 

と言ったそうです。

 

なぜ、理由も聞かずにあっさりとお休みさせたのでしょうか?

 

「学校で色々あって大変なことはわかっていたから、今は休ませるべきだと思った」

 

からだそうです。

その方は仕事をしながら資格試験をとる勉強もしていて、とても忙しかったはずです。でも、ちゃんと息子さんのことを見ていたんですね。

 

その息子さんは翌日から元気に登校したそうです。

 

きっとその子は、

 

自分にはちゃんと自分を理解してくれる人がいて、心を休ませる場所があるんだ

 

そう思ったことでしょう。

 

私は、我が家は、はたして子供達にとってそのような存在になれているでしょうか?

 

あれやこれやと、余計な口出しばかりしていることに、今日も反省です。

 

 

どんどん外出しましょう!

 

学校で授業があっている平日に、子供と外出することを躊躇することはないですか?

他の子は授業を受けているのに、うちの子だけこんなことしてていいんだろうか、と。

そんなの気にせず

 

どんどん外出しましょう!

 

家でこもっているよりも、外出する力があるのは嬉しいことです。

 

娘は人混みが嫌いだったので、週末は外出するのを特に嫌がりました。なので、平日の昼間にいろんなところに出かけました。

 

もちろん、気が乗らず行かないと断られたことも何度もあります。それでも、様子を見つつ誘い続けました。たまに娘からここに行きたいと言われると、すぐに調整して出かけるようにしました。

 

家にいると、スマホやインターネット、ゲームなどをする時間が増え、運動不足になり、寝つきも悪くなり、熟睡もできず朝が起きられない、という悪循環になりがちです。

 

外出する際は、次の二つのことを意識するといいと思います。

 

一つ目は、学校に行けていないけど外出することに対して、親が

 

「全然気にしていないよ!」

 

というのをアピールしてあげることです。

行こうよ行こうよ!と明るく誘ってあげることです。

気にしていないように見えたとしても、本人が一番罪悪感を感じているので、その罪悪感を払ってあげることが大切です。

 

たまに出先でお店の人に「あれ?今日は学校休み?」なんて聞かれることもあります。

 

なので事前に打ち合わせをするのです。

 

「もしお店の人に何か聞かれたら、『今日は日曜参観の代休なんです。』

って答えようね。」と。

 

こういう「融通」を利かせることも、不登校の子は下手なことが多いと思います。

なので、そういう経験にもなるのではないでしょうか。

 

 

二つ目は、なるべくその子と二人で出かけることです。

 

不登校の子に兄弟がいる場合、その子はその兄弟に対しても劣等感を持っています。

お姉ちゃんはちゃんと学校に行ってるのに、私は行けてない・・・と。

だから、一緒に出かけてもその劣等感から気が休まらないのです。

 

兄弟がまだ小さく幼稚園や保育園に行っていない場合は難しいかもしれませんが、近くに両親が住んでいたら預かってもらうなど、できれは二人の時間を作ったほうがいいです。

 

二人だけだと、盛り上がらないときもありますし、たまに喧嘩もします。ですが、相手が一人しかいない分、その子のことがよく見えてきます。

 

意外に花が好きなんだなとか、動物は好きだけど大きいと近くで触るのは苦手なんだな、など。

私たち親は、子供のことは何でもわかっているようなつもりでいますが、実はわかっていない、知らない部分があることに気づかされるのです。

 

 

この二つを意識して、外出しましょう!

 

 その子が興味のあること、好きな物で行く場所は変わると思います。

 

 娘と行ったのは、動物園、植物園、湖、自然に囲まれた道の駅、市民プール、釣り堀、ため池でのザリガニ釣り、運動公園、映画館、ホームセンター、ドラッグストア、リサイクルショップ、古本屋、古着屋・・・などです。

 

仕事をしているとなかなか難しいとは思います。

でも、たまには帰宅後でも時間を作ってあげられたらいいですね。

夕飯なんて買ってきたお惣菜でもいいですし。

 

私はパートで飲食店で仕事をしていたので、基本平日がお休みでしたし、午後から仕事のときは午前中に30分くらいかけて山までドライブしてお昼を食べて帰ってきて、それから仕事に行く、というようなこともしていました。

 

 

たまに、

 

「いつまでこんなことが続くのだろう・・・」

 

と、正直落ち込むこともありました。

疲れているときは、出かけるのがおっくうにもなりました。

 

ですが、高校生になった娘は、私なんかより友達といたほうがずっとずっと楽しいので、一緒に出かけることも減りました。

なんだか一人取り残されたような気になり、寂しくもあります。

 

今、ずっと家にいて親が引っ張り出さないと外に向かって出ていくことができない子でも、いつかは自分の元を離れて行くのです。

 

だから、ほんの数ヶ月か数年だけ、思い切り一緒に楽しむんだと覚悟を決めて、

 

どんどん外出しましょう!

 

 

反抗期×不登校

反抗期は幼少期の第一反抗期と、思春期の第二反抗期があると言われています。

 

娘も、幼稚園のときと中学生のとき(高校生になった今もまだ少しありますが)にありました。

ただし、娘の場合は第二反抗期が不登校と重なったため、本人も私も余計にきつかったのだと思います。

 

 

前にも書きましたが、娘は幼稚園年少から小学3年生の終わりまで海外で育ちました。

(【実は・・・帰国子女です】)

 

なので、第一反抗期は海外にいるときでした。

 

幼稚園は現地の幼稚園に通っていました。最初は言葉の壁があり登園をしぶることもありましたが、半年くらいで言葉も理解できるようになり、元気に登園するようになりました。

 

 現地の幼稚園はお昼で終わって帰ってきます。

私たち日本人妻たちは主人たちの会社から車の運転を禁止されていましたので、幼稚園への送迎は現地に住む日本人の方にお願いしていました。 

車から降りて自宅に帰るなり、どこかに遊びに行きたい、誰かと遊びたいといいます。

 

 上の子は小学生でしたので日本人学校に通っており、帰宅は夕方4時半ごろなので遊び相手がいないのです。

 

私たちが暮らしていた場所は国全体の治安が悪く、住んでいたマンションの敷地入り口は施錠され、常時、銃を持った警備員が待機しているようなところでした。

ですので、日本のように近くの公園に歩いて遊びに行くなんてことはできません。

 

マンションの一階にはプールや小さなサッカーコートのようなものと少し遊具のあるプレイスペースはありますが、昼間はほとんど誰も遊んでいません。

 

車の運転ができないので、どこかに行こうと思うとタクシーを呼ぶしかありません。

 

日本人の友達のところも、たまにならいいのですが、毎日となるとさすがに遊びにいくわけにもいかず、長女が帰宅するまでどうやって時間をつぶすかを考えるのが、正直私のストレスでもありました。

 

遊びに行きたいけど行けない娘と、どうやって時間をつぶすか考えるのことに疲れた私と、お互いストレスを抱えていたと思います。

 

よくケンカをしていました。

 

だいたいの発端は、私の言うことを聞かない娘に私が怒り、それに娘がますます反発する、といった感じです。

 

今考えると、娘は私の所有物ではないのだから、私の思いどおりにしようと思った私が悪いのです。きちんと向き合って、何を求めているのかをきちんと聞く姿勢がありませんでした。また、私が思っていることを伝えるのも、理由も言わずに一方的にこうしなさいと押し付けていました。

 

そんな私に耐えかねた娘は、幼稚園用の小さなキャリーケースに荷物をつめて

 

「もう、わたしは家出するっ!」

 

と、出ていったことが何度かあります。

 

マンションの部屋には玄関と別に裏口があり、キッチンにある裏口のドアを出ると、

すぐ目の前にエレベーターがありました。

私たちが住んでいたのは10階でした。

 

キッチンのドアから勢いよく飛びだす娘をそのまま見送ります。

 

しばらくすると

 

「ママ-っ!」

 

と泣き声が聞こえてきます。

 

娘はエレベーターが怖くて一人で乗ることができないのです。

 

エレベーターの前でキャリーケースをわきに泣きじゃくっている娘を、そのまま家に連れて帰る・・・

いつも、このパターンでした。

 

でも、日本だったら本当に家出していたかもしれませんね。

 

本当にひどいことをしていました。

 

娘が日本人学校に入学してからは、登下校が長女と一緒なので、このようなことはなくなりました。

 

 

さて、思春期の第二反抗期×不登校です。

 

高校生になった今も、たまに「なにっ!」「わかったって!」など乱暴な言葉を吐くときがありますが、一番ひどかったのは中2から中3にかけてでした。

 

反抗期だけでなく、不登校の自分に対する苛立ちも加わり、それをぶつける相手が私しかいなくて、娘自身も苦しかったと思います。

 

暴言はもちろんですが、ワーワー泣きわめきながらリビングの椅子を投げ倒したり、テーブルの上のものを床に投げ散らかしたりすることが何度もありました。

 

中2の6月のある朝、学校の眼科検診の結果がよくなかったので、目にかかった前髪がよくないのではと思った私が娘に

 

「前髪あげたほうがいいんじゃない?」

 

と言いました。

その一言に娘が切れてしまい

 

「なんで髪型を決められないといけないわけ!そんなの自由じゃん!」

 

と叫びました。

 

それにカチンときた私は

 

「誰がメガネ代、コンタクト代払うの!」

 

と言ってしまいました。

それを聞いた娘はすごい勢いで洗面所に行き、自分で前髪をバッサリ切って出てきました。

 

「これでいいんでしょ!」

 

と泣きながら2階の部屋へ駆け上がりました。

 

しばらくすると2階からガタガタと大きな音が聞こえてきました。

あわてて娘の部屋に行くと、床には粉々に割れたグラスの破片が散らばり、ぬいぐるみや本なども散乱しており、その中で娘はワーワー泣いていました。

 

グラスを割ったのは初めてだったので、私も心配になり主人にメールをしたところ、仕事を抜けて帰宅してくれました。主人が帰ってきたのに気づいた娘は2階のトイレに閉じこもり、いくら声をかけても出てきませんでした。

 

結局、主人は仕事に戻り、私は娘の部屋の片づけをしてから昼食の準備をして声をかけると下りてきて、普通にお昼を食べました。

 

 

それから 一週間後。また朝から泣きわめき

 

「助けてよ!」

 

という娘に耐えかねた私が

 

「だったらどうしてほしいか言ってよ!」

 

と言ってしまいました。

 

自分でもどうしたいのか、どうしてほしいのかわからないから暴れている娘に対して。

 

すると娘は怒って2階の部屋へ行ったかと思うとすぐにおりてきて食器棚の前に行き、

 

「割っていい?」

 

と聞きます。

 

「いいよ」

 

と答えると、食器棚の中から、ちゃんといらないようなグラスを選んで床にたたきつけ、その上からつまようじをまき散らしました。

そして、数日前に女子会しようとダイニングテーブルの周りを飾り付けていた風船をかたっぱしから割り始めたのです。

 

私はというと、だまって見ぬふりしてその場にいることしかできませんでした。

 

「これで少しでも娘のストレスが発散できるならいいや」

 

そう思っていました。

 

その後、私は学校にスクールカウンセラーの先生に会う約束があり、部屋の片付けもせずにでかけました。行く前に娘には行ってきても大丈夫かたずねましたが、大丈夫との返事でした。

しかし、家を出てすぐに携帯に娘から電話があり泣いていました。すぐに家に戻るとガラスの破片が指に刺さったと言います。でも、自分で刺したのだと思いました。

そこで、気分転換のために少し離れたホームセンターに一緒に行きました。そこでは機嫌よく買い物をし、夕方、自宅を訪ねてくださった担任の先生とは話をすることができました。

 

 

 このころ娘がいつも口にしていた言葉が

 

「助けて」

「無理」

「死にたい」

 

でした。

これほどまでに苦しんでいる娘を助ける術もわからず、私も苦しい毎日を送っていました。

今思うと、一番ひどかった時期、私は仕事をしていませんでした。

なので、私自身が娘から離れて自分の時間を持つことがあまりできずに、ストレスがたまり、それが娘を受け入れられない精神状態につながっていたかもしれません。

 

家にいて、テレビを観たりネットをしたりして過ごしている我が子を見ていると、ついイライラして「学校行ったら」とか「勉強したら」などと言ってしまいます。

 

 

このとき一番大切なことは、そのままの娘を受け入れ【共感】することだと思います。

 

ただただ耳を傾け、「うんうん」と優しくうなづき、時には子供の言葉をオウム返しで返してあげる。

このときに、どうにかしてあげようと思うと、「こうしたら」「ああしたら」と余計なことを言ってしまいがちです。なので、ただただ【共感】することを意識して話を聞くのです。

 

こんなことを書いていますが、私は今でも、高校生になった娘から注意されます。

 

「だからさ、そこは『そうだね』だけでいいんだって。余計な事言って否定するのやめてよ。」

 

まだまだ未熟な母親です。

  

 

不登校×高校受験 Part1

高校受験・・・

 

本当に苦戦しました。

 

まさかここまで合格をもらうことが難しいのかと、愕然としました。

 

 

ここまで苦戦した原因は主に2つです。

 

①受験勉強を開始したのが中3の11月下旬だったため、時間が足りなかったこと。

※この時の娘の学力は小学6年生程度。中学の学習はほとんどしていませんでした。

 

②受かる可能性が高い安全圏ではなく、娘が行きたい学校を無理して受験したこと。

 

 

①に関しては悔いが残ります。中3になり登校することを頑張っている娘に、さらに勉強まで頑張れとはなかなか言えない情けない母親でした。せめて夏休みから始めていたら、また結果は違っていたかもしれません。

 

②に関しては、これでよかったと思います。もしも、安全圏の高校を受験して合格していたら、「もしかしたら、行きたかった高校も合格できていたかもしれない。」と、いつまでも悔やむことになったかもしれないからです。

 

今、娘が通っている高校は公立で、もともと行く気は全くなかった学校です。

そもそも公立高校自体を、出席日数が極端に少ないため内申書の時点で合格はいただけないと、あきらめてもいました。

 

学力的には、公立高校の中では最下位だと思います。

色んな生徒さんがいます。

でも、色んな問題が日々発生する中でも、友達ができ、毎日のように遊び、休みたくても迎えに来てくれる友達がいるから起きて準備し、自転車に乗って登校しています。

 

私が娘に望む一番重要なことは、

 

楽しい高校生活を送ってほしい

 

ということです。

 

もちろん、勉強もしてほしいです。

 

でも、何よりも楽しい高校生活を送ってほしいのです。

 

これまでの5年間は、ほんとうに辛い日々でした。

毎日毎日、一日が早く終わってくれることを考えながら悶々と家で過ごした日々。

そんな娘に、とにかく友達と過ごす楽しさを味わってほしかった。

 

きっと、そのうち勉強もするようになります。

大学に行きたいと言っていますし、短期間での受験勉強の大変さは娘自身がよくわかっているからです。

 

 

 

中3の初日から、これまでほとんど登校しなかった娘が週に1日休むか休まないかというくらいまで登校するようになりました。

(そのきっかけは【再登校のきっかけは・・・】をご覧ください。)

 

最初は保健室だったのが、そのうち教育相談室に登校するようになりました。

教育相談室というのは、本来の自分の教室に行けない子が来て勉強したりすることができる教室で、その頃、全学年で6人くらいは来ていたようです。

 

登校はするようになりましたが、学校にいる時間はまちまちで、1時間程度だったり、ときには数時間だったりでした。

 

教育相談室では基本的に自習です。必ず先生が一人いらっしゃって、勉強でわからないことがあれば質問できるようになっています。

 

1学期は7割以上登校していますが、相談室では本を読んだり、保健室のお手伝いをしたりするだけで勉強はほとんどしていませんでした。

担任の先生や相談室の先生方は、受験を心配してくださり、少しずつ勉強を始めることを勧めてくださっていましたが、なかなか娘は動こうとはしません。

私は、勉強のことはほとんど口にはしませんでしたが、通信制の高校やサポート校、専門学校を調べていました。

 

6月くらいから色んな高校で体験入学があります。

友達と行く約束をしていても、当日の朝になると頭が痛くて行けなくなることがありました。どうしても、同じ中学の子が来ているので、その目が気になっていたのでしょう。

ですが、市外の高校の体験入学には行けました。友達のお母さんが車で連れて行ってつれました。ここは、同じ中学から他に希望者がいないことがわかっていたからだと思います。

帰宅してから、とにかく楽しそうと言っていました。特に、部活がどれも楽しそうと。

ですが、その高校は自宅から通うのは電車やバスを乗り継いで1時間半以上かかるところでした。乗り物酔いをする娘には到底無理でした。寮もあるのですが2人部屋しかなく、娘は断念したようです。

 

そのころから、娘はある高校に行きたいと言い出しました。

 

それまでは、美容専門学校でもよいと言っていたのですが、知り合いの高校生に街で会った時に、とにかく楽しそうだったから私もあの高校に行きたいと。

制服は有名デザイナーがデザインされたおしゃれなもので、とても人気のある高校でした。立地も街から近くて、放課後遊んで帰るにはちょうど良い場所にありました。

 

夏休みにこの高校のオープンスクールがあったので、2人で出かけました。

学校の近くに車を停め、歩いて高校に向かう間、娘の顔がこわばります。

同じくオープンスクールに来た大勢の中学生たちとすれ違うからです。

やっと校門についたところで、

「やっぱり帰る」

と言うのです。

私は、わざわざ来たのにという気持ちが勝り、パンフレットだけもらってくるから待っててと、早く帰りたい娘を一人残し、中に入りました。

パンフレットを手に校門に戻ってくると、近くの校舎の端に壁に向かって小さくなって立っている娘がいました。

 

「どうした?」

と声をかけると、

「〇〇〇(小学生のときの同級生の男子)が来てた。だからもう早く帰ろう。」

と、速足で校門から出ていきます。

 

このときに思いました。

 

「勉強して合格したとしても、通えなかったら意味がないな。」

 

「今のままで、高校に通える日が来るのだろうか?」

 

不安でいっぱいです。

 

車に乗ると、娘が

「ママ、怒ってる?」

と聞いてきました。

 

「ううん。不安なだけ。」

と、つい口から出てしまいました。

 

それを聞いた娘は

「そんなこと言わないでよ!私のほうが不安なんだからっ!」

と怒って車のシートを倒し、窓のほうに体を向けて横になって泣き出しました。

 

「そうだよね。ほんとにごめんね。」

私は、不安な娘の気持ちをあおるような言葉を吐いてしまったことに心から申し訳なく思いました。

そして、不安でもその気持ちを見せず、大丈夫といえる親に成長することを心に誓ったのです。

壁に向かって小さくなるしかなかった娘の気持ちも考えず、自分の感情を出してしまい、ますます傷つけてしまったことを反省しました。

 

夏休みが明けてすぐテストがありました。

県内の中学3年生が全員同じテストを受け、この結果で受験校を決めていきます。

中学に入り初めて、娘はテストを受けました。

このときは国語と数学の2教科だけしか受けませんでしたが、受けただけでも大きな進歩でした。

結果はもちろん、予想どおりでした。

 

しかし、2学期になってからは体調が悪い日が増え、これまでの頭痛に加え、腹痛や吐き気、立ちくらみも出てきました。保健室に顔だけ出して帰る日もありました。

 

精神的にも一番不安定だったのが、この時期でした。

初めてカッターでリストカットしたのもこの頃でした。

 

今思うと、次の大きな変化のための準備期間だったようにも思います。

大きな変化には大きな痛みが伴うのでしょう。

 

この時期に私が意識したことは

 

①何があってもどんと構えて見せる(不安に思っても本人の前では見せない)

 

②父性愛(時には突き放し、嫌でもやらなきゃならないことがある、と社会性を身に着けさせるもの)を意識した対応をする。

 

③娘のよいところ、すごいところを常に探し、そこをほめる。(【インプットよりもアウトプットが大事!】)

 

の3つです。

 

①と②はスクールカウンセラーの先生にアドバイスいただいたこと、③は

コンプリメントで不登校は治り、子育ての悩みは解決する ?子どもの心を育て自信の水で満たす、愛情と承認の言葉がけ?

を読んで心掛けたことです。

 

 11月になり2回目のテストを受けました。

結果は5教科250点満点中37点。うち3教科は一桁台でした。

 

 さすがにまずいです。

 

しばらくして娘が塾に行きたいと言い出しました。

家庭教師のほうがよいのではと思いましたが、外に出た方がやる気もでると言うので、個別指導で、自宅から通いやすく、かつ評判もよさそうな塾を探し電話してみました。

そのときは塾長が不在で、受付された方が後で電話させますと言われました。

しばらくすると塾長から電話がありました。

「こんな時期に問い合わせなので、何か特別な事情がおありかと思い、至急連絡しました。」と言われました。

受験生なのにこんな年末になってからの問い合わせだったからでしょうが、この心遣いに感心したのを覚えています。

面談させていただき、この塾ならと思い、通わせることにしました。

当然、受験まで時間が足りないので、色々と策を練っていただきました。

 

冬休みは、塾の休講日以外は朝の8:30から夜の9:45まで一日塾にいるような日が続きました。 たまに遅れて良くこともありましたが、休んだことはありませんでした。

それだけ、その高校に行きたかったのでしょう。

 

12月末の三者面談で、担任の先生と一緒に受験校を決めます。

1月に私立の専願試験があるのですが、このときに娘が行きたいと言っていた高校を受けますと伝えると、担任の先生はかなり厳しいから、もし受けるのであれば今は受ける気のない学校も視野に入れておかなければならないと言われました。

それでも娘は受けたいと言いました。

もしだめでも後悔のないようにしたほうがよい。そう思い、専願は娘の第一希望の高校を受けました。

 

結果は不合格。

 

でも落ち込んでいる暇はなく、2月上旬に私立女子高を受験。こちらは合格はいただきました。しかし、通学するのにスクールバスで1時間ほどかかることと、女子高は行きたくないということで最初から行く気はありませんでした。受験の練習という意味と、ひとつでも合格をいただいていると精神的に違うと思い受けさせたのです。

 

2月中旬に私立2校を受験。

この2校も、実はランクを上げての受験でした。担任の先生からは別の高校を勧められていましたが、塾で解いた過去問題の結果がよかったのもあり、娘がランクを上げたいと言ったからです。私もひとつは受かるのではと思っていました。

 

しかし、どちらも不合格。

 

これには私も一緒に落ち込みました。

その時点で合格をいただいているのは、行く気のなかった私立の女子高のみだったからです。

 

そこで、この結果がわかってすぐ、前から調べておいた通信制高校に問い合わせをし、翌日に娘と一緒に話を聞きに行きました。

その高校は通信制ですが全日制をメインとしており、学習面でいうとかなり充実しているように思いました。

ですが、娘が一番気にかけていたのは、中学のときに行けなかった修学旅行でした。これが、通信制のこの学校にはありませんでした。他にも体育の授業がなかったり、部活がなかったり、普通の高校生活を楽しみたいと思っている娘の理想とは違っていました。

 

帰りの車中。娘と私の意見は一致していました。

 

学習面でいえばいいところだと思うけど、普通の高校生活と考えるとちょっと違うよね。

 

実は、この私立受験の前に、公立の後期の受験をするかどうかで担任の先生から打診を受けていました。受験票の準備はしていましたが、娘が出さないと言っていますがどうしますかと。

このとき、私は一応願書の提出をお願いしていました。

 

そこで、娘と話をして、受かるかわからないけど、最後に公立の後期試験を受けよう!と決めました。

 

この高校は定員割れもしていたので、他の生徒さんからすると「受かって当たり前」だったかもしれません。ですが、これまで4校受けて3校が不合格だった娘にとって、この高校の合格は最後の最後で得られたごほうびのようなものでした。

 

合格発表の日、高校の体育館の前に掲示された合格者の番号の中に娘の番号を見つけたときは、2人で飛び上がりました。きっと一番盛り上がっていたと思います。お互い涙をこらえながら「よかったねーよかったねー」と繰り返しました。

 

 もしも今、中学3年生のお子さんをお持ちで、これまで不登校で勉強ができていないという方には、なんとか子供さんの気持ちを勉強に向かうように、親も真剣に何か行動を起こすことをお勧めします。

うちの場合、娘が受験勉強を始めたのが11月末だったので、本当に遅すぎました。

 

もちろん、無理やり勉強しなさい!はNGです。

 

そして、よい塾を探すことをお勧めします!

 

娘は塾でよい先生に出会い、よい友達に出会い、学校で授業を受ける練習をすることができました。

受験勉強だけなく、自分自身のよいところを教えていただき、のばしていただき、将来を見据えて物事を考えることの大切さまで教えていただいたようです。

塾長はじめ、塾の講師の大学生たちが、一緒に笑って泣いて応援してくださいました。

一番行きたかった高校に不合格になったときも、くさらずに最後までなんとか頑張れたのは、この塾の存在があったからです。

 

 

 

サプリメントと薬

ネットで不登校のことについて調べていると、様々なサプリメントの広告を目にします。

 

朝起きられないお子様に!

うそのように頭痛がなくなりました!

学校を休まなくなりました!

 

そして

 

今だけの特別価格!

 

などなど、ついつい商品をチェックしたくなるようなうたい文句です。

 

私も頭痛がひどい娘のためにと、試してみました。

 

中2から中3の2年くらいの間に3種類のサプリメントと2種類の漢方薬です。

 

でも、どれも目に見えるほどの効果はありませんでした

(中3になってから登校日数はかなり増えましたが、これは「再登校のきっかけは・・・」をご参考ください。)

 

 

もしも、子供さんが頭痛や腹痛、めまいなどで朝起きられない、登校できないという方にお勧めのサプリメントをたずねられたら

 

【値段が手ごろで子供さんが飲みやすいと感じるもの】

をお勧めします。

 

特にどれがいいとはいいません。

  

もちろん、一度病院で血液検査などされて特に異常がなかった場合です。

 

貧血、低血圧がひどいようであれば、病院で薬を処方していただく必要もあります。

 

 

特に異常がなければ、結局は何を飲んでもさほど変わらないのです。

 

結局は気の持ちようであり、痛かったり気持ち悪かったりする症状を自分で折り合いをつけていくしかないのです。

 

 

 

 これまで娘が試したサプリメント漢方薬を紹介します。

ただし、先に書いたようにどれも目に見えるほどの効果は得られませんでした。

 

 

 

最初のサプリメントは、不登校関連というよりも成長期の補助的なもので

 

 カラダ〇〇ファ  

7,200円/約一月

 

でした。

娘が中2の春のことです。

これは、私というより娘のほうが飲みたいと言い出したのです。

外見にコンプレックスがあるため、身長を伸ばしたいと、自らネットで成長サプリメントを探してきました。

なかなかの値段ですが、三つ上の長女と比べると10センチ近く身長が低いため、確かにもう少し高くなりたいだろうということで購入しました。

初回限定6,000円(送料別)だったと思います。

一日に5~10粒が目安とあり、娘は10粒ずつ飲んでいました。

3か月は飲んでいましたが、それほど身長に変化もなく、やめてしまいました。

 

 

次に試したのは漢方薬です。

 

小学生の頃から、娘は頭痛がありましたが、中学生になり、ますますひどくなっていました。

特に朝は痛みがひどくて起きられず、また一日中痛みがないときがほとんどないのだと言っていました。

 

あまり薬は飲ませたくなかったのですが、痛みに耐えかねた娘が飲みたいと言った時は市販の子供用頭痛薬を飲ませていました。

 

 親としてはこの頭痛をどうにかしてあげたいと、ずっと考えていました。

 

中2の1月、薬をへらし最終的にはやめるのを治療目的とされている病院があると聞き、娘を連れていきました。

 

同じ県内ではありましたが、わが家から車で1時間ほどかかるところにあったので、車酔いをする娘は嫌がりましたが、なんとか連れていきました。

 

初日に血液検査をしていただき、貧血気味であることがわかったので、鉄剤と頭痛によい漢方薬を処方していただきました。

 

漢方薬は、あの独特の風味があり飲みにくいです。

それでも、娘は頭痛がよくなるならと我慢して飲んでいました。

 

処方していただいた漢方薬

 

桂枝茯苓丸エキス顆

 

柴胡桂枝湯エキス顆

 

2か月ほど飲み続けましたが、前よりは痛みが和らいだと言っていました。

漢方薬と一緒に処方していただいた鉄剤のおかげもあるかもしれません。

しかし、少し調子がよくなったのと、遠くまで行くのを嫌がったのもあり、この病院には2回しか行かず長続きしませんでした。

 

 

それから数か月して、たまたま私がネットで見つけたのが

 

キリツ〇〇〇

5,292~6,264円/月(値段はキャンペーンや継続割引でかわります)

 

でした。

 

娘が中3の7月のときです。

この頃は、別室登校もしていましたが、朝は頭痛でなかなか起きられない状態が続いていました。

 

キリツ〇〇〇は4ヶ月ほど飲み続けました。

 

しかし、娘の感想としては頭痛の症状は変わらないと言っていました。

朝の起きる時間もそれほど改善されたわけでもありませんでした。

 

でも、一番長く続けられたのは、粒が小さくて飲みやすいということと、1日4粒でよいこともあったようです。

 

 

これもだんだん飲まなくなったころ、同じ中学の保護者の方で、同じ不登校の娘さんを持つ方から、漢方薬の錠剤があることを聞きました。それを飲んでいる娘さんの頭痛がやわらいだと言われたのです。しかもネットで購入できると。

 

早速、ネットで探して購入しました。

 

それが

 

半夏白朮天麻湯A エキス錠 (はんげびゃくじゅつてんまとう)

3,789円/約半月

 

です。

これのよいところは、漢方薬ですが錠剤になっているのでお湯に溶かす必要がなく、そのまま服用でき臭いもあまりしません。

でも、これは1ヵ月ほどしか続きませんでした。

 

理由は、錠剤が大きすぎて飲むのが大変!しかも、毎食6粒ずつ1日18粒(15才以上の場合)飲まないといけないのです。

 

効果がよくわらかないうちにやめてしまいました。

 

 

そうしているうちに年が明けました。

中3の娘にとって初めての受験が目前に迫っています。

 

さすがにこのころには受験モードに入り、あまり休むことなく別室登校ができていました。ですが頭痛は相変わらず続いており、朝が特に辛そうでした。

 

そんな中、またまた私がネットで見つけたのが

 

ズキラッ〇

4,180円/月

 

というものでした。

これは一日に3粒でよく、大きさはキリツ〇〇〇ほど小さくはないのですが、市販の頭痛薬よりは小さく飲みやすそうでした。

 

飲み始めたのは中3の2月でした。

 

高校受験は想像以上に苦戦し、3月半ばにしてやっと進学する高校が決まったのですが、そちらのほうに意識がいっており、薬のほうは飲んだり飲まなかったりで、結局効いたのか効かなかったのか、正直わかりません。

一袋半ほど飲んで、今は放置状態です。

 

 

娘は高校生になり3ヶ月近く経ちます。

 

今でも時々頭が痛いといいます。

でも、朝も間に合うように起き、学校はこれまで一日しか休まずに登校できています。

頭痛薬もほとんど飲まなくなりました。

 

今朝はすごく頭が痛い!と言う日でも、しばらくすると自分で起きてきます。痛くても起きられるし、登校できています。

 

やはり、気の持ちようです。

 

その「気持ち」を上向きにするのが難しいんですよね。

 

 

以前、スクールカウンセラーの先生に言われたことがあります。

 

「頭痛はあるかもしれないけど、それは自分で

 

折り合いをつけていくしかない

 

ですね。」と。

 

我慢できなければ薬を飲む。

痛くても行かなければならない、やらなければならないことがあるなら、やるしかない。

 

大人だって頭が痛いときがあります。

でも、やらなければならないことがあるから体を起こします。

そうして動いているうちに頭痛が収まってくることもありませんか?

(もちろん、どうしても動けないほど痛いときは休むべきです。)

 

それはそういう経験をしていくうちに、これは薬を飲まないといけないとか、これはしばらく動いていれば収まるとか、わかってくるものかもしれません。

 

だから、その経験が浅いうちは、たとえ気休めであってもサプリメント漢方薬で手助けをするのもいいと思います。

 

 

そのうちきっと、自分で折り合いをつけられるようになります。

 

 

 

補足ですが、特に女の子の場合は鉄分不足も様々な体調不良の原因になるそうです。これは大人の女性でもいえることです。

 

私自身も2年ほど前、とにかく体が疲れて、頭痛やめまいが続く時期があり、健康診断で極度の貧血になっていることがわかりました。そこで、鉄剤を処方していただき、それを飲み続けたら体調が戻りました。

 

ディアナチュラスタイル 鉄×マルチビタミン 60粒 (60日分)

再登校のきっかけは・・・

娘の再登校のきっかけは・・・

 

主人の

 

「始業式から学校に行きなさい。」

 

の一言でした。

 

それも、きちんと膝を突き合わせて、真剣に、気持ちが伝わるように、主人が話をしてくれました。私は横に座り、あくまで話を聞くだけにしました。

 

それまで、私たち親も娘も避けてきた【本気で向き合う】ことをやったのです。

 

そのときの娘の顔は今でも覚えています。

その一言を聞いた瞬間に顔をこわばらせて、泣きそうになりながらも必死に耐えていました。

 

きっと、主人も同じだったと思います。

今まで休んでいた学校に足を向けさせること、人の目がこわい娘にとって、それがどんなに辛いことか。そして、それを伝えたところで娘がどのような反応をするか、壊れてしまうのではないか、という不安もありました。

 

ですが、この一言がきっかけとなり、娘は学校に足を向けるようになりました。

 

 

娘の中1のときの「学校には行かない」宣言から、それを受け入れてひたすら待っていた私たちが、娘と本気で向き合わなければ!と気づかせてくださったのが、臨床心理士で娘が中3のときのスクールカウンセラーの先生でした。

 

 

前回の「スクールカウンセラー」の回でつづったとおり、娘の登校日数は、中1のときが21日、中2のときが12日とほぼ登校できない日が続いていました。

中3にあがる前の春休み、それまでお世話になっていたSSW(スクールソーシャルワーカー)の方から、、一度ご主人と行かれたらどうですかと、ある臨床心理士の方を紹介していただきました。

 

実は主人は、この春から関東のほうに単身赴任が決まっており、自宅を離れるため、娘のことが余計に心配だったのだと思います。

 

先生と主人の予定がなかなか合わず、お会いできたのは、主人が関東に発つ2日前でした。

 

最初は、頭痛や吐き気で登校できないことや、習い事をしても続かないことなどを相談していました。

 

先生は

 

母性愛:すべて受け入れて守ってあげるもの

 

と同じくらいに

 

父性愛:時には突き放し、嫌でもやらなきゃならないことがある、と社会性を身に着けさせるもの

 

が大事だということを教えてくださって、今、娘に必要なのは、この父性愛ではないかと言われました。

 

そして、私たちが娘の「学校には行かない」宣言を受けて、ひたすら登校する気になるのを待っているのを聞いて、それは【優しいようで優しくない】ですね、と言われました。

 

学校に行く、行かないという重要なことを、中学生の子供に決めさせることではない。

待っているだけで、ある日突然学校に行き出す、ということはないですよ、と。

 

衝撃でした。

 

娘のことを思って、娘が決めたことだから見守ろう、ととんでもない間違いをしていたことに気づかせていただいたのです。

 

そこで、話をするタイミング、環境、話す順番、話す内容など、細かく話し合い、主人は下書きまでして臨みました。

 

【本気で向き合う】ために。

 

主人が話した内容は

 

①3年生の始業式から学校に行きなさい。いきなり教室にとは言わないから、保健室でも相談室でもいいから、とにかく毎日学校に行きなさい。

 

②〇〇に登校するかしないかを決めさせてしまったけど、カウンセラーの先生からそれは優しくないと言われた。そんな大切な事を決めさせてしまったパパ達が悪かった。申し訳ないと思っている。

 

 

③社会に出るためには、今から少しずつ身につけていかなくちゃならないことがある。それをつけるために学校は行かなければならない。

 

というようなものでした。

 

話がひととおり終わり、涙をこらえていた娘は2階の自分の部屋に駆け上がっていきました。

しばらくして、主人は用事で出かけていきました。

すると、2階から「ママ来てー!」と娘が呼びました。

部屋に行ってみると、目を真っ赤にした娘が怒りをあらわに訴えてきました。

 

「なんであんなこと言われないといけないの!私だって行けるんだったらとっくに行ってるし!パパもママも私の事何もわかってない!あんな何か言われただけで急に学校行けなんて勝手すぎる!」

 

娘がこうなることは想定していました。

なので私は割と冷静に対応することができたと思います。ワーワーと泣き叫ぶ娘の横に座り、肩をなでながら、ただひたすらウンウンとうなずきました。

 

そうするうちに娘も少しずつ落ち着いてきました。

泣きすぎて頭が痛いし喉が痛いというので、水を部屋に運んであげて、私は夕飯の準備をしていました。しばらくして下におりてきて、夕飯は一緒にとりました。

気のせいかもしれませんが、娘の表情が何かスッキリしたようにも見えました。

 

主人が関東に発ってから1週間後の月曜日が始業式でした。

前日の夜から、私は内心そわそわしていましたが何も言いませんでした。

すると娘のほうから、「明日から学校だから早く寝るね」と10時半頃、2階に上がっていきました。

 

そして、始業式当日。

目覚ましは鳴なっているのになかなか起きない娘に、何度か声をかけました。

8時半くらいに起きてきて朝食を食べ、制服に着替えるところまではすませましたが、テレビを見たりしてなかなか動かない娘。

「学校は?」と聞きたくなる気持ちをぐっとこらえて、私はひたすら家事をこなしていました。すると、10時くらいになってやっと学校まで送ってほしいというので、車で近くまで送りました。この日は1時間ほど保健室にいたようです。

 

翌日は入学式のため休みで、その翌日は保健室に2時間ほど、その翌日は校門まで、その翌日は3・4時間目とその週は毎日登校しました。

 

結局、3年間、教室で授業を受けることは一度もありませんでしたが、学校にいる時間

も長くなり、保健室から相談室に登校するようになり、そこで友達もできました。

もちろん、たまに休む日もありましたが、3年のときの登校日数は139日と、飛躍的に増えました。

主人の「始業式から学校に行きなさい」のたった一言が、それまでは行かないのが当たり前だった娘の意識を行くのが当たり前に変えたのです。

 

同じ休むにしても、行かないのが当たり前で休むのと、行くのが当たり前で休むのでは全然違うと思います。

 

行かないのが当たり前になると、子供も親も正直気持ちが楽ですよね。

私もそうでした。学校に毎日お休みの連絡をする必要もないし、行くのか行かないのかと気をもむ必要もないです。

 

でも、それでは不登校が長引くだけではないでしょうか?

 

もっと早く【本気で向き会う】ことができていれば、もう少し早く、再登校できていたかもしれないと思います。

 

お休みが必要なときももちろんあります。

行くのが当たり前であれば、休んでもよくないですか? 

 

 

 

 

 

 

スクールカウンセラー

もし子供さんの不登校で困っているのなら、スクールカウンセラーを利用した方がいいと思います。

 

心療内科に行ってカウンセリングとなると、数千円はかかりますよね。場所によっては7千円のところもありました。それをタダで受けられるのですから。利用しない手はありませんよね?

子供が行きたくないなら、親が行けばいいのです。

というより、親が行った方がいいです。子供の不登校は、やはり親が間違った子育てや対応をしてきたからだと思うので。

 

娘が中学生になってからは、月に一度くらいのペースでスクールカウンセラーの先生にお世話になりました。もちろん通ったのは私で、娘がお世話になったのは、3年間のうちで2度だけでした。

 

3年間、毎年カウンセラーの先生は変わりました。

毎年思ったのは、先生によって考え方が随分違うのだな、という事でした。

 

1年生のときは、60歳前後の臨床心理士の方でした。

 

この方の基本的な考えは

 

①規則正しい生活を送る。

 

②好きなことだけではだめ、家の手伝いなど何か責任を持たせてやらせる事も大事。

 

③登校をうながす。

 

というものでした。

 

私はおかげさまで素直な性格?なので、それを行動に移すよう努力しました。

 

①朝はなるべく9時までに起きるように声かけし、娘の部屋のカーテンを開けて朝日が入るようにしました。

 

→全く効果はなく。いっこうに目を覚まさないか、覚めても頭が痛いとベッドから起き上がれません。

 

②家のパソコンの使用時間を決め、それ以外は使わせないようにしました。(スマホは高校生になるまで持たせていません)

 

→娘は音楽を聞いたりYouTubeを見たりしていましたが、それを制限されたため、「他に楽しみがないのに、これまで私から奪うの」と泣かれました。それでも、制限はつづけました。

 

③調子が良さそうなときは、登校をうながしました。

 

→それがストレスとなり、とうとう[1年生の間は学校に行かない] と宣言しました。結果、一年間の登校日数191日のうち、登校できたのは21日だけでした。

 

 

2年生のときは、50代の女性の方で、学校での面談日以外は精神科医として病院に勤務されている方でした。

 

この方の基本的な考えは

 

①今は充電中と思って好きなことをやらせてあげる。一緒に遊ぶ。

 

②完璧でなくてよい。すべて6割程度でよいという考え方ができるようにする。

 

③無理に登校させる必要はない。今行けなくても行けるようになる日が必ずくる。

 

 

これに対して私が実行したことは

 

①娘が行きたい、やりたいと言ったことはなるべくやらせてあげました。

牧場、湖、動物園、カラオケ、映画、ネコカフェ、釣り堀、などなど・・・に行きました。午後から仕事の日が多かったので、午前中から昼過ぎにかけて出かけて、そのあと仕事に行く日もありました。

そして、習い事もさせました。ボイストレーニング、ギター、スポーツジム。

 

→数ヶ月で辞めてしまいます。

 

②何か計画どおりにいかなかったとしても、「どうにかなるよ」「様子をみてみよう」「まぁいいよ」などの言葉かけを心掛け、融通をつけられるようにした。

 

私自身が「こうでなければ」という固定概念が強すぎたことにも気づきました。それが娘を苦しめていたのだと思い、私自身の考え方を改めるきっかけにもなりました。

 

③ほんとど登校刺激を与えませんでした。家でダラダラとテレビを見て過ごす娘にいらだちを感じたら、私だけで出かけたり、仕事をすることで気を紛らわせていました。

 

→結果、一年間の登校日数201日のうち登校したのは12日だけでした。

 

 

 

 この2年間であまり変化がなかったのは、登校できた日数です。

 

ですが、1年と2年で違うのは、やりたいことを実行に移し始めたことだと思います。

確かに長続きはしませんでした。始めて1ヶ月ほどすると、頭が痛い、お腹が痛いと言い、行けなくなってくるのです。学校に行けないときと同じ症状です。

ですが、外に向かい出したことは事実です。

 

そしてまた、自分の感情を激しく出すようになったの2年のときでした。ワーワー泣きわめいたり、椅子を倒したり、物を投げつけたり、腕をかきむしったり。一見状況が悪化したようにも思えました。

 

しかし今思うと、これが娘が動き出したことの証だったのかもしれません。

 

そしていよいよ、中3になると娘は大きく動き出します。

 

そのきっかけとなった『一言』と、中3のときのスクールカウンセラーの先生については次回つづらせていただきます。

 

 

小学校の卒業式

小学校の卒業式は、本来の卒業式のあと、娘一人、校長室で行っていただきました。

 

担任の先生からは、ギリギリまでみんなと一緒に卒業式に参加してほしいと言われましたが、娘は絶対に無理、できれば校長室も行きたくないと拒み続けました。

学校に来なければ校長先生が自宅まで卒業証書を渡しに来られると言われたため、しぶしぶ行くことにしたのです。

 

校長室にいたのは、校長先生、学年主任、担任の先生、私、そして娘の5人だけだったと思います。

 

最初は教頭先生(「ボロ布でもかけときますね」)も参加される予定でしたが、娘がなるべく少ない人数がいいと言ったため、遠慮されたようでした。

 

校長先生は、植木鉢に植えられた、また小さいリンゴの木を準備されており、それを前に話をされました。

 

このリンゴの木は、水や肥料をもらったりして成長しています。あなたも自分一人の力ではなく、周りの人たちのおかげてここまで成長できた。だから感謝の気持ちを忘れないように。

 

というような内容だったと思います。

 

私は涙が止まりませんでした。

 

校長先生の話に感動したから  ではありません。

 

これまでの色んな事が思い出されて、

くやしくてくやしくて涙がとまらなかったのです。

 

この校長先生に、うちの子の何がわかるのだろうか?

不登校の子の対応を何か考えてこられたのだろうか?

 

校長先生は、赴任されて一年目でした。

 

その前の校長先生は、不登校の子供のこともすごく気にかけてくださっていて、私にも何度も校長室に来て話をしませんかと、声をかけてくださっていました。

一度だけでしたが、お話をさせていただいたときも、不登校から再登校した子供さんの色んな実例をあげて、気長に待ちましょう!と励ましてくださいました。

朝の登校時間には、学校近くの横断歩道に立ち、子供たちに声をかけられていました。

 

ですが、この校長先生は何か不登校の子供に対して動かれたことが、これまであったのでしょうか?

 

 

6年のときの担任の先生は、一度もうちを訪ねてきてくださったことはなかったです。

(うちの子が来てほしくないと言っていたのもあるとは思います)

 

卒業を目前にしたころ、この先生からお話がありました。

中学校で特別支援学級に入ることもできると思いますが、その際は診断書が必要になるので、一度診察を受けられてはどうでしょうか、と。

 

以前、検査をしたことがあり、特に問題はなかったという話もしたことがありました。しかし、娘の言動行動をみて何かおかしいと思われていたのでしょうか。

 

もちろん、結構ですと断りました。

 

もし、娘が何か障害があるのなら、先にこちらから相談してますよ。

特別支援学級に入れくださいと。

 

 

卒業生一人きりの『卒業式』が終わり帰宅するとき、

 

もう二度とこの学校の校門はくぐりたくない

 

そう思いました。

 

 

勉強

 

子供が不登校になると、特に勉強のことが気になります。

今勉強しないと、もし行けるようになっても授業が理解できないのではないか。

だからおもしろくなくて、また行かなくなるのではないか・・・。

ましてや受験が迫ってくると親も気が気ではありません。

 

 本人だって気にはなっているのです。だって、わからない授業を1時間近くもずっと机について聞くのは嫌ですから。そして、このまま勉強しなければどうなるのか、と。

受験生ともなると、どこか行ける学校はあるのか、と不安に押しつぶされそうになります。

 

「高校受験」については、また別の機会につづりますが、今回は娘が小学校から中学にかけての勉強のやり方について、です。

というか、ほとんどしていませんが・・・。

 

 

小学4、5年生の頃は、基本的に私が教えていました。

学校の教科書や補助教材を使い、主に算数をやっていました。

時には理科の実験も、なんとか自宅にあるものでやったこともありました。

 

ですが、やはり限界を感じるようになりました。

例えば、算数だとつい高校までの知識で解いてしまい、娘への説明が逆に難しくなったり。理科だと、私も忘れてしまっていることが結構ありました。

 

娘が小学6年生のときです。中学進学をひかえて、このままではますますついていけなくなると思い、娘に家庭教師をお願いしてみようかと聞きました。

すると娘もすんなり受け入れました。

塾だと人の目もあるため行けないだろうと、最初から家庭教師しか選択肢にありませんでした。

 

ネットで色々調べた結果、〇〇家庭教師協会といところに話を聞いてみることにしました。そこは、不登校の子にも対応した指導ができることと、もしも合わなかったら先生の変更も無料で何回でもできるということでした。

 

自宅には中年の男性がいらして、色々娘の現状を聞かれました。

そして、そこは独自の教材を使って学習していくのですが、小学校のテストの問題を網羅した教材なので、必要のない学習は極力避け、最低限の労力で小学校の復習ができると言われました。

 

授業料は月4回で1万ちょっとだったと思います。しかし、教材が高く算数、国語を一式そろえるだけで十数万かかりました。今思うと、なぜこんな高額な教材を購入することにしかたのかと思いますが、このときは、とにかく中学入学までに少しでも不安材料を減らしておきたいとの思いが強かったのです。

 

また、私のほうからは、学校を休みがちで小学5年の途中からあまり学習できていないため、まずはどのあたりに戻って教えていただく必要があるのかをみていただきたいと伝えました。そして、娘の希望で女性がいいこと、メイクなどに興味があるのでそのような話もできる方がいいことも伝えました。

 

2週間ほどして来てくださった先生は、国立大学の医学部の学生で、服装もメイクも「今どき」な感じで、娘とは気が合いそうな気がしました。

 

最初は、これまでの復習をして、わからなかったところを教えてもらい、分かりやすいと話していました。しかし、一ヶ月ほど経つと、先生がくる時間になると頭が痛い、お腹が痛いと言い出し、とうとう、辞めたいといいだしました。他の先生に代えてもらうこともできると伝えましたが、無理としか言いません。仕方なく、辞めることにしました。(幸い、教材代は全部届く前でしたので無料にしてもらえました。)

 

 結局、小学校の復習もほとんどできないまま、中学校に進学しました。

 

中1の一学期は入学式以外は登校しませんでした。なので、入学してすぐにある学力試験も受けていないので、娘の学力もわからないままでした。

 

そしてあっという間に夏休みになりました。

 

不登校の娘は、学校がある日は休んでいても気が休まらず、休んでいる罪悪感を感じながら一日を過ごしていました。ですが、学校が休みだと、いつものようにひどい頭痛もなく、平日よりも元気に過ごせます。夏休みも、わりと落ち着いて過ごしていました。

高校生の姉と二人で電車に乗り祖父の家に泊まりに行ったり、お祭りや県外にライブを観に行ったり。

 

そして、夏休みが終わるころ、娘が

塾に行こうと思う。」

と言い出したのです!

近くに全国チェーンの塾があるのですが、そこに行ってみたいと。

 

そこの塾は個別(1対1)授業なので、娘のレベルに合わせた指導をしてもらうことができます。が、近くなので同じ中学校の知ってる子が通っている可能性もありました。ですが、本人が行きたいと意欲があるときに、このタイミングを逃してはならないと、すぐに教室の見学に行きました。

 

塾長と話をしながら、なんだかやる気になった娘は、週に2回、英語と数学をやりたいといいます。

その場で申し込みをし、翌々日には自習をしに行っていました。

先生は男子大学生でしたが、楽しそうにやっていました。

最初の1ヶ月は・・・

 

10月に入ると、塾の時間が近づくにつれ、体調不良をうったえます。

家庭教師のときと同じです。

結局、10月は1日も行くことができなかったため、11月から12月までお休みすることにしました。これは、この塾の決まりで最長2ヶ月はお休みすることができ、また入学金を払うことなく復活できるようになっていたからです。

一応、1月に復活の手続きをしましたが、2回だけ行き辞めてしまいました。

 

自分から行きたいと言ったのだから、無理にでも行かせればよかったのでしょうか?

 

私はそうは思いません。

 

確かに、前回の家庭教師にしても塾にしても「入会費」が発生します。払った月謝がほとんど無駄になった月もありました。それを思うと

もったいなかったなー

と、ため息もでます。

 

ですが、娘自身が行きたいと、勉強しなきゃと思ったのは事実ですし、それでも行けなくなって自己嫌悪になっているのは娘自身だからです。

 

もしも私が、塾に行って勉強したいと言う娘に「どうせ続かないって」と言ってその意欲を奪ったり、行けないと苦しむ娘を無理やり行かせようとしていたらどうなっていたでしょうか。

 

娘からは、これまで何通か手紙をもらいましたが、その中によく書いてあるのが

 

「私がやりたい事をさせてくれてありがとう。」

 

です。

 

娘も、やらせてくれるのが当たり前だとは思っていません。

そのあとに「ごめんなさい」の言葉が続くので。

 

家庭教師も塾も続きませんでした。

ですが、本当にその時は「やる気」はあったのです。

「やめる気」なんてなかったのです。

 

実はこのあと、色んな習い事にも挑戦します。

そしてその度に、できるだけやらせてきました。

ことごとく続かず辞めていきますが・・・。

でもやらせてみないとわからないです。

何がきっかけで娘が自信をつけ、充実した日々を送れるようになるのか。

 

そして、中学3年の高校受験を目前にして、また塾に通うことになります。

このときは、本当に頑張りました。

そして今も週に 1回だけですが通い続けています。

「ボロ布でもかけときますね」

「ボロ布でもかけときますね。」

 

これは、娘が小学6年生になってすぐの頃、当時の教頭先生の口から出た言葉です。

 

その日、娘と私は学校の「心の教室相談員」※のところに会いに行きました。

以前から担任の先生などから会ってみるように勧められていましたが、学校に

行くこと自体嫌だったことと、あまり人に会いたがらなかったのもあり、なかなか

実現しませんでした。

しかし、この日はやっと重い腰を上げてくれたのでした。

 

他の児童に見られたくないというので、授業が始まった後に登校しました。

相談室の場所は職員室のある棟の2階にあり、図書室のすぐ近くにありました。

隣の棟は普通の教室が入っている棟でしたので、相談室の窓から見える状態でした。

しかし、窓ガラスの半分下が曇りガラスになっていたため、椅子に腰かけると

向こうからは見えませんでした。

 

相談員の方とは、今、どのようなことをしているか、どんなことをしていると

楽しいか、勉強はどうやっていこうか、など話をしていました。

 

しばらくすると、ガヤガヤと子供たちの声が近づいてきます。

その時、娘の表情がサッと変わりました。

廊下の方をみると、子供たちがぞろぞろと歩いています。図書室へ移動して

いたのです。

 

廊下側の窓には、目隠しの布をかけてありましたが、窓の半分までしかなく

かけてある布もだいぶ古いようで、取れかかっているところもありました。

通りすがり、何人か相談室をのぞき込んでいました。

娘は廊下と反対側に顔を向け、見られないようにしていました。

 

その様子を見た相談員の方が、今度までに布を準備してもらうように

しようね、と優しく声を掛けてくださいました。

 

相談員の方の窓口は教頭先生でしたので、相談が終わると教頭先生のところに

一緒に行き、報告してから帰宅することになっていました。

3人で職員室に行き、教頭先生に声を掛け、簡単に相談内容の報告をしました。

そして、相談員の方が相談室の窓の布が取れているため、対策をお願いされました。

 

すると教頭先生は、

 

「あーじゃあそのへんのボロ布でもかけときますね。」

 

笑いながら言われたのです。

 

 

娘の小学時代で一番衝撃的な出来事でした。

 

この教頭先生は女性の方で、見るからにサバサバした感じでした。

きっと、『普通ではない』子の対応をしなければならないのが面倒だった

のでしょう。つい出てしまった言葉だと思いますし、何も気にされなかった

と思います。

私も相談員の方も、苦笑するしかありませんでした。

 

教頭先生になるほどの経験がある方なのに、学校に行きたくても行けない子の

気持ちが、理解できないのでしょうか。

繊細で人の目が気になり、マスクを外すことができない子の気持ちがわからない

のでしょうか。

 

後になって悔しさがこみ上げてきました。

娘が相談室に行くことは二度とありませんでした。

 

正直、思います。

学校の先生は、『普通の』児童・生徒の指導をするのが限度だと。

『普通ではない』児童・生徒の対応をする余裕なんかないのです。

 

 

※「心の教室相談員」:  1998年にスクールカウンセラーとは別に生徒が悩みを気楽に話せ、ストレスを

           和らげることのできる第三者的存在として文科省が始めた取り組みですが、

           2002年より各自治体に委託されたため、すべての小・中学校に設置されているわけ

           ではないようです。

 

 

母親は仕事すべきか?

子供が不登校で家にいるときに、母親は仕事すべきか?

それとも辞めるべきか?

 

私はしたほうがいいと思います。

 

これも色々意見があると思います。

ここで言う「私は」とは、「私の場合は」という意味です。

 

私は外に出ることも好きですし、人と会ってお話しすることも好きです。

家に何日もいて、スーパーでの買い物以外、出かけることがないとストレスがたまるのがわかります。

 

私は、大学を卒業して就職した会社に、次女である娘を出産するまでずっと働いていました。つまり、長女、次女と2度の育児休業を取らせていただいたのです。

 

そして、当然復職するつもりでいましたが、義理の両親の「二人目が生まれたら仕事辞めるでしょ」という言葉に負け、退職してしまったのです。

 

娘が幼稚園の年少に入るまで、仕事はしませんでした。

 

会社の同期の仕事ぶりを耳にするたびに、私はこんなだらだらした生活でいいのだろうかと、うらやましく思うこともしばしばありました。

 

娘が幼稚園に入園し、さぁ何か仕事をしよう、と考え始めた矢先に、主人の海外赴任が決まりました。主人からは一緒に来るか日本に残るか考えてと言われましたが、海外で生活してみたいと独身のときから考えていた私でしたので、喜んでついていくことにしたのです。

長女が6歳、次女が4歳のときでした。

 

海外にいる間は主人の会社の決まりで、配偶者は仕事をしてはいけないことになっていました。ですが、向こうでは保護者が参加する学校行事も多く、またスポーツジムに行ったり、買い物、ランチと毎日のように出かけ、楽しい日々を送らせてもらいました。

 

長女が中学1年生、次女の娘が小学4年生になるときに帰国しましたが、最初の一年くらいは子供たちが日本での生活に慣れるまでは家のことを優先しようと仕事をしませんでした。

 

4年生の三学期、娘は半分以上欠席する状態でしたが、5年生になり一学期は70日の授業日数のうち、お休みしたのは9日だけでした。

これで気がゆるんだ私は仕事を探し始めました。

 

急にお休みすることも考え、シフト制ではなく、私が休んでも他の方の迷惑にならない仕事。そして、学校が休みになる土日祝日がお休みであるところ、に絞って探しました。

そこで決まったのが、テレホンアポインターの仕事でした。

 

朝の9時から午後2時まで。娘が学校に行っている間に行って帰ってくることができる時間帯です。

 

しかし、「外に出て誰か家族以外の人と話がしたかった」私にとってテレホンアポインターの仕事は期待外れのものでした。

ひらすら電話をかけ、隣の人と話す時間もほとんどありません。途中で軽食をとる時間がありますが10分ほどです。

また、電話帳を元に無作為にかけていくので、クレームもあります。

かけた瞬間に怒鳴られることもありました。

これは、正直ストレスにもなりました。

 

その反面、仕事が終わって帰りながら、同じパートの人と長く立ち話しすることもたびたびありました。娘の不登校の相談をしたり、たまには終わってからランチに行ったり、夜、飲みに行ったりもしました。

 

このころ、娘からは「仕事のストレスを私にぶつけないでよ!」と言われた

こともあります。

ですが、別の日には「ママが仕事休むと私のせいだと思い自分を責めてしまうから休まないでほしい。」とも言われました。

 

 二学期、三学期と、娘の登校日数は急激に減っていきました。

 

さすがに、一人でいる時間が長すぎると思い、仕事の時間を短縮してもらいました。12時で仕事を終え帰宅します。それでもお昼はすでに食べてしまっていることが多かったです。このころは、娘にお弁当を作っていました。

登校していたら給食があるのに、と思ったことも、正直何度もあります。

でも、娘にとっての楽しみは食べることくらいだったと思います。

 

娘は6年生になってもほとんど状況は変わりませんでした。

 

中学の入学式は出席し、そのあと、友達と小学校に制服姿を見せに行っていました。

ですが、翌日からまた全く行かなくなりました。

 

娘が中1の年末に、私はテレホンアポインターの仕事を辞めました。

社長のやり方についていけなかったことが一番の理由です。

 

仕事を辞めてから、娘の体調を見ながら色んなところに行きました。

山や湖、動物園、カラオケなどなど・・・。

 

そして中2になってすぐくらいでしょうか、娘から手紙をもらいました。

 

その内容は、

 

「最近ママは一緒にでかけても楽しくなさそう。

だから私も楽しくない。」

 

というものでした。そして、その原因が自分にあるのだということも書いてありました。

 

確かに。

毎日毎日娘と2人きりの時間が長くて、会話も広がらないし、私も気持ち的に疲れていたな、と反省しました。

 

そして、また仕事を探します。

 

次に就いたのは、飲食店のホールの仕事で、簡単なデザート作りもやりました。

娘が中2の夏休み前です。

 

実は、この仕事が決まったときも娘から手紙をもらいました。

 

「仕事してほしくない。正直嫌です。なぜこのタイミング?」

 

と。

 

そして続きます。

 

「でもいいよ。ママもやりたいことがあるだろうし。

私にもいろんなことにちょうせんすることを教えてくれたから。」

 

と書かれていました。

 

成長したなー(涙)

 

そして仕事を始めて見ると、これが楽しかったのです!

 

仕事内容もですが、同じお店で働くスタッフもおもしろい人が多くて、おしゃべりするのも楽しかったです。

ですので、仕事に行くと家で抱え込んでいたモヤモヤも、しばし忘れることができました。

 

時に娘からは

 

「ママはいいね。仕事中は私のこと忘れることができるから。」

 

と嫌味を言われたこともあります。

 

でも、「忘れてなんかないよ」と答えながら仕事を続けました。

 

今振り返ると、娘はこの中2のときが一番荒れていました。自傷行為があったのもこの頃です。

もし、このとき仕事をせずに、私も娘と一緒に家にこもる生活をしていたら、私も精神的におかしくなっていたと思います。

 

いやいや、ずっと一緒にいてあげてたら自傷行為もなかったんじゃないの?

 

という声も聞こえてきそうですが、娘が自分の腕をかきむしったりするのは決まって私が在宅のときでした。

 

一番身近にいる母親が子供に近づきすぎたままだと、本人が持っている力を十分に発揮できない。とことん苦しみ、悩み、考え抜いた末に、自らの力で動き出す。

私はそれをそばで見守るしかないのです。愛情だけは忘れずに。

 

娘は中3になってから、いよいよ動き出すことになります。