欅坂46の
『サイレントマジョリティー 』
という曲があります。
娘が中学の時によく聞いていて、カラオケに行くと私も一緒に歌ったりしていました。
サイレントマジョリティーの意味は「物言わぬ多数派」(ウィキペディア)だそうです。
私はこの曲を聞くたびに涙が出るのです。
歌詞の中に
「君は君らしく 生きていく自由があるんだ 大人たちに支配されるな」
とあります。
学校に行き、みんなと同じように授業を受けることを望んでいる自分。
がいる反面
もっと自由に個性を伸ばしてあげることのほうが大切なのでは?と自問する自分。
もいました。
『君は君らしく』(娘には娘らしく)
いてほしいのに、「当たり前」や「普通」にとらわれているのは大人である私自身だと思うのです。
『自分らしくいたい』
ともがいている娘を、心の底からの理解をしてあげられない申し訳なさ。
列に並び、みんなと同じ方向を向いて歩くことができていれば、こんなに苦しまずにすんだのにと、思うこともありました。
娘が中学2年のとき、学校に校則があることを極端に嫌がった時期がありました。
なんで髪を染めたらだめなの?
なんで髪を結ばないといけないの?
なんでビアスをあけたらだめなの?
なんで制服を着なきゃいけないの?
たまに保健室登校する時も、制服を着たくないと私服で行っていました。
もちろん思春期だというのもあると思いますが、海外にいるときに、小さい子がピアスをしていたり、学生が学校に行く時もメイクをし、長い髪をなびかせている様子を見てきていたからかもしれません。
なんでなんでと問われても、勉強するのに気が散るからじゃない?というようなことしか言えませんでした。
そこで、娘はネットで色々検索し、一番納得のいく答えを見つけたようでした。
それは、
「社会に出たら、ああしなさい、こうしなさいと色々うるさく言うおじさん、おばさんがいるから、校則はそう言われた時のための訓練をするためにある」
というような内容でした。
高校生になった今でも、もちろん校則はあります。制服です。
でも、こっそり、少しだけ破りながも、基本的には校則を守っています。
『自分らしく』いることは、全てが自由ということではありせん。色々なルールがあって社会が成り立っていて、その中で『自分らしく』生きていく。
最近、この曲を耳にして思ったことは
はたして私は『自分らしく』生きているのだろうか?
ということでした。
娘が不登校の時は、娘ばかりを当てはめて考えていたのですが、今は、私は?と考えます。
娘に『自分らしく』生きてほしいと願うのならば、まずは私が『自分らしい』生き方ができるように、『サイレントマジョリティー』にならないようにしたいと思うのです。