今だから言いたい‼ 不登校のこと

小4から中3までの5年にわたる娘の不登校。不安、悲しみ、怒り・・・そして感謝。

再登校のきっかけは・・・

娘の再登校のきっかけは・・・

 

主人の

 

「始業式から学校に行きなさい。」

 

の一言でした。

 

それも、きちんと膝を突き合わせて、真剣に、気持ちが伝わるように、主人が話をしてくれました。私は横に座り、あくまで話を聞くだけにしました。

 

それまで、私たち親も娘も避けてきた【本気で向き合う】ことをやったのです。

 

そのときの娘の顔は今でも覚えています。

その一言を聞いた瞬間に顔をこわばらせて、泣きそうになりながらも必死に耐えていました。

 

きっと、主人も同じだったと思います。

今まで休んでいた学校に足を向けさせること、人の目がこわい娘にとって、それがどんなに辛いことか。そして、それを伝えたところで娘がどのような反応をするか、壊れてしまうのではないか、という不安もありました。

 

ですが、この一言がきっかけとなり、娘は学校に足を向けるようになりました。

 

 

娘の中1のときの「学校には行かない」宣言から、それを受け入れてひたすら待っていた私たちが、娘と本気で向き合わなければ!と気づかせてくださったのが、臨床心理士で娘が中3のときのスクールカウンセラーの先生でした。

 

 

前回の「スクールカウンセラー」の回でつづったとおり、娘の登校日数は、中1のときが21日、中2のときが12日とほぼ登校できない日が続いていました。

中3にあがる前の春休み、それまでお世話になっていたSSW(スクールソーシャルワーカー)の方から、、一度ご主人と行かれたらどうですかと、ある臨床心理士の方を紹介していただきました。

 

実は主人は、この春から関東のほうに単身赴任が決まっており、自宅を離れるため、娘のことが余計に心配だったのだと思います。

 

先生と主人の予定がなかなか合わず、お会いできたのは、主人が関東に発つ2日前でした。

 

最初は、頭痛や吐き気で登校できないことや、習い事をしても続かないことなどを相談していました。

 

先生は

 

母性愛:すべて受け入れて守ってあげるもの

 

と同じくらいに

 

父性愛:時には突き放し、嫌でもやらなきゃならないことがある、と社会性を身に着けさせるもの

 

が大事だということを教えてくださって、今、娘に必要なのは、この父性愛ではないかと言われました。

 

そして、私たちが娘の「学校には行かない」宣言を受けて、ひたすら登校する気になるのを待っているのを聞いて、それは【優しいようで優しくない】ですね、と言われました。

 

学校に行く、行かないという重要なことを、中学生の子供に決めさせることではない。

待っているだけで、ある日突然学校に行き出す、ということはないですよ、と。

 

衝撃でした。

 

娘のことを思って、娘が決めたことだから見守ろう、ととんでもない間違いをしていたことに気づかせていただいたのです。

 

そこで、話をするタイミング、環境、話す順番、話す内容など、細かく話し合い、主人は下書きまでして臨みました。

 

【本気で向き合う】ために。

 

主人が話した内容は

 

①3年生の始業式から学校に行きなさい。いきなり教室にとは言わないから、保健室でも相談室でもいいから、とにかく毎日学校に行きなさい。

 

②〇〇に登校するかしないかを決めさせてしまったけど、カウンセラーの先生からそれは優しくないと言われた。そんな大切な事を決めさせてしまったパパ達が悪かった。申し訳ないと思っている。

 

 

③社会に出るためには、今から少しずつ身につけていかなくちゃならないことがある。それをつけるために学校は行かなければならない。

 

というようなものでした。

 

話がひととおり終わり、涙をこらえていた娘は2階の自分の部屋に駆け上がっていきました。

しばらくして、主人は用事で出かけていきました。

すると、2階から「ママ来てー!」と娘が呼びました。

部屋に行ってみると、目を真っ赤にした娘が怒りをあらわに訴えてきました。

 

「なんであんなこと言われないといけないの!私だって行けるんだったらとっくに行ってるし!パパもママも私の事何もわかってない!あんな何か言われただけで急に学校行けなんて勝手すぎる!」

 

娘がこうなることは想定していました。

なので私は割と冷静に対応することができたと思います。ワーワーと泣き叫ぶ娘の横に座り、肩をなでながら、ただひたすらウンウンとうなずきました。

 

そうするうちに娘も少しずつ落ち着いてきました。

泣きすぎて頭が痛いし喉が痛いというので、水を部屋に運んであげて、私は夕飯の準備をしていました。しばらくして下におりてきて、夕飯は一緒にとりました。

気のせいかもしれませんが、娘の表情が何かスッキリしたようにも見えました。

 

主人が関東に発ってから1週間後の月曜日が始業式でした。

前日の夜から、私は内心そわそわしていましたが何も言いませんでした。

すると娘のほうから、「明日から学校だから早く寝るね」と10時半頃、2階に上がっていきました。

 

そして、始業式当日。

目覚ましは鳴なっているのになかなか起きない娘に、何度か声をかけました。

8時半くらいに起きてきて朝食を食べ、制服に着替えるところまではすませましたが、テレビを見たりしてなかなか動かない娘。

「学校は?」と聞きたくなる気持ちをぐっとこらえて、私はひたすら家事をこなしていました。すると、10時くらいになってやっと学校まで送ってほしいというので、車で近くまで送りました。この日は1時間ほど保健室にいたようです。

 

翌日は入学式のため休みで、その翌日は保健室に2時間ほど、その翌日は校門まで、その翌日は3・4時間目とその週は毎日登校しました。

 

結局、3年間、教室で授業を受けることは一度もありませんでしたが、学校にいる時間

も長くなり、保健室から相談室に登校するようになり、そこで友達もできました。

もちろん、たまに休む日もありましたが、3年のときの登校日数は139日と、飛躍的に増えました。

主人の「始業式から学校に行きなさい」のたった一言が、それまでは行かないのが当たり前だった娘の意識を行くのが当たり前に変えたのです。

 

同じ休むにしても、行かないのが当たり前で休むのと、行くのが当たり前で休むのでは全然違うと思います。

 

行かないのが当たり前になると、子供も親も正直気持ちが楽ですよね。

私もそうでした。学校に毎日お休みの連絡をする必要もないし、行くのか行かないのかと気をもむ必要もないです。

 

でも、それでは不登校が長引くだけではないでしょうか?

 

もっと早く【本気で向き会う】ことができていれば、もう少し早く、再登校できていたかもしれないと思います。

 

お休みが必要なときももちろんあります。

行くのが当たり前であれば、休んでもよくないですか?