今だから言いたい‼ 不登校のこと

小4から中3までの5年にわたる娘の不登校。不安、悲しみ、怒り・・・そして感謝。

絶対に永遠に続かない‼️

テレビのニュースで不登校の児童生徒数が過去最高と耳にします。

 

もちろん一番大変なのは本人ですが、その分悩み苦しんでいる保護者の方たちが増えているということです。

 

あの、出口があるのかもわからないトンネルから抜け出せず苦しんだ日々を考えると、どんなに辛い状況なのだろうと思わずにはいられません。

 

とにかく私がお伝えしたいのは、今の状況は

 

 

絶対に永遠に続かない‼️

 

 

ということです。

 

 

なぜなら時は必ず過ぎていくからです。

 

義務教育もいつかは終わります。

 

高校生活もいつかは終わります。

 

「学校に行かなければ」

 

「勉強しなければ」

 

といった呪縛からはいつか解放されるのです。

 

不安で、辛くて、苦しくて

 

明日は元気に登校してくれるかも

 

などという希望が、やはり朝になると虚しく崩れ落ちる。

 

そんな日々かもしれませんが、どのような形であれ、いつか終わるのです。

 

永遠はありえないのです。

 

だから、どうか子供と同じ感情になるのではなく、親として、大人として、どっしり構えていられたらいいですね。

(私はフラフラしていました)

 

 

娘は大学2年生。

 

今年度、大学に通うのもあと少しです。

 

なんとか単位を落とすことなく進級できています。

 

体調を崩したり、しんどいと言ってくることもあります。

 

でも、1年生のころとは格段に成長したと思います。

 

娘から連絡がきて、慌てて様子を見に行ったことが何回もありますが、それもここ半年以上はなくなりました。

 

少し前から自動車学校にも通い始めました。

 

アルバイトをする余裕はまだなさそうですが、一人暮らしをしながら、日々課題と格闘しているようです。

 

来年あたり、留学に行きたいと言うようになりました。

 

まだまだ完全に安心できるわけではありません。

 

でも、2年前、高校を卒業できないかもしれない状況だったことを考えると、よくここまで頑張ってきたなと思うのです。

 

 

朝起きられなかった娘が、なんとか起きて通学していること。

 

 

遅刻するくらいなら休む、と言っていた娘が、今はそれでも慌てて教室に向かっていること。

 

 

コロナに関係なく、どこでもマスクが外せなかったのに、今ではほとんど付けなくなったこと。

 

 

本人はあまり気づいていないようですが、いつの間にかできるようになったことがたくさんあるのです。

 

 

自身の楽しみを見つけ、自分自身にご褒美をあげて、子供をサポートする力を補うことができたらいいなと思います。

 

今の状況は、

 

絶対に永遠に続かない‼️

 

のですから。

 

 

 

 

セカンドオピニオンを求めて

昨年2021年の6月に最初の『うつ病』診断を受けてから10日ほどして、別のメンタルクリニックに行きました。

 

そこの先生は娘が中学生のとき一度会ったことのある方です。

 

まだ30代でご自身も子育て中のお母さんでもあります。

 

娘的には合うようでしたが、

 

今、何か困ったことある?

 

という質問に娘が特にないと答えたので、

 

また困ったことができたらおいで

 

と言われ、それ以来お会いしていませんでした。

 

今回は前の病院からうつ病の診断書を持っていきました。

 

先生は

 

軽度のうつ病と言ってもいいかもしれませんね

 

と言われました。

 

ただ前の病院と違ったのは、薬だけでなく

 

運動・睡眠・栄養

 

が大事だということを何度も言われました。

 

 

 

運動

 

運動できる状態ではありませんでした。

 

この頃は学校もほとんど行っていなかったので、家でゴロゴロといった感じでした。

 

少し散歩でも、というのは本人もわかっているのですが体がついていかないのです。

 

睡眠

 

もちろん熟睡なんでできません。

 

夜はなかなか眠れず、寝ても夜中に何度も目が覚める。よくうなされていました。

 

だから、朝がなかなか起きられない。

 

まさに悪循環なのです。

 

栄養

 

食欲にはムラがありました。

 

でも、あまり食べられないことが多かったです。

 

特に先生が言われたのは

 

タンパク質を多く摂る

(動物性のほうがよい)

 

ということでした。

 

タンパク質の構成成分であるチロシンフェニルアラニントリプトファンなどの必須アミノ酸が神経活動の伝達に不可欠な神経伝達物質を作るそうです。

 

娘が好きなもの、食べられそうなもので、タンパク質を意識して食事の準備をしていました。

 

唐揚げやお刺身、タンパク質強化ヨーグルトなど。おにぎりには、シーチキンマヨネーズとスクランブルエッグを入れることが多かったです。

 

それと同時にタンパク質の吸収を助けるビタミンB12サプリメントで摂っていました。

 

 

そしてそして

 

 

鉄分不足‼

 

 

昨年、ずっと体調の悪かった娘を内科に連れていきました。その時に血液検査もしていただきましたが、何の問題もなく体調不良の原因はわかりませんと言われました。

 

ところが、その血液検査の結果を持っていったところ、体の中に蓄えておく鉄分がかなり不足しているからサプリメントを飲んだ方がいいと言われました。

 

そこで先生に教えていただいたサプリをネットで注文し、飲みはじめました。

 

 

少し前にNHKの「トリセツ」で若い人に隠れ鉄分不足が多く、だるさ、頭痛、不眠などの体調不良の原因になっていると言われていました。

 

特に娘は生理の時の出血が多かったので、鉄分不足だったのではと思います。

 

 

 

運動、睡眠、栄養

 

この3つの中では栄養改善が、娘にとっては一番やりやすかったと思います。

 

 

結局、セカンドオピニオンでもうつ病と言われたわけですが、最初のメンタルクリニックに通い続けていたら、ただ薬を飲み続けてよくなるのを待つ、だけだったのかもしれません。

 

薬は同じ薬を飲むことになりましたが、同時に栄養改善を意識することができたのはよかったと思います。

 

高校3年生の6月の終わり。

 

受験という壁が目の前に迫っている。

 

そんな時期でした。

 

予定していた希望大学のオープンキャンパスや説明会も全て行けず、その後も登校できない日々が続くのでした。

 

 

 

 

うつ病診断!

2021年6月18日

 

「軽度から中度のうつ病ですね。」

 

そう心療内科の先生に言われました。

 

2021年3月に投稿した時は、娘が自ら塾に通い始め、大学受験に向けて勢いよくスタートを切ったところでした。

 

あれから3ヶ月ほどで、この診断が出たのです。

 

昨年末から体調が悪い時もあったのですが、新年度が始まったくらいからますます体調を崩しだしました。

 

頭痛、微熱、立ちくらみ、吐き気、腹痛、食欲減退、体重減少などなど

 

とにかく体調が悪く、毎朝学校に車で送る日々が続きました。

 

このときも私は、何か

 

内科的

 

なものだと思い、症状をネットで調べ内科に連れて行ったり、漢方薬を買って飲ませてみたりしました。

 

そうです。

 

娘が小学4年生のときに体調不良が始まり、学校に行けなくなってきた時と同じです。

 

不登校を認めたくなくて、内科的なものだと思い込もうとしていた

 

あの時の私と。

 

そんなもどかしい私に、娘が言いました。

 

「私、うつ病だと思う。だから心療内科に連れてって。」

 

ネットでできるうつ病診断をやると、必ずうつ病になるのだと。

 

そんなの誰でもなるんじゃない?と思いましたが、内科では原因がわからないと首を傾げられるだけだったので、かなり渋ってからやっと重い腰を上げたのです。

 

コロナの影響もあり、心療内科は新規受付を中止ているところもあり、予約がなかなか取れませんでした。

そんな中でもなんとか2ヶ所の予約をとりました。

 

そのうちの一つはキャンセルがでたので3日後には診察できますよとのこと。

 

娘を連れてそのメンタルクリニックへ。

 

娘以外にも高校の制服を着た子もいました。

 

診察室が二つありますが、コロナ対策なのかドアが開いており、話し声は待合室まで聞こえてきます。

 

問診票と、うつ病診断チェック表のようなものが娘と私に渡されました。

 

しばらく待って診察室へ。

 

30歳くらいの男性の先生でした。

 

淡々と質問、それに対する娘の回答をカタカタとパソコンに打ち込み、ほとんど顔も見ない印象。

 

そして、

 

「軽度から中度のうつ病だと思われますね。」

 

と言われました。

 

問診票と決まりきったような質問をいくつかしただけでその診断。

 

そして、薬は一年は飲んでくださいねとのこと。

 

処方されたのは

 

レクサプロ 10mg

夕食後半錠

 

と胃腸薬でした。

 

レクサプロは体が慣れるまで副作用として吐き気が起こることがあるため、半錠から飲み始めて、慣れてきたら1錠にしましょうと言われました。

 

なるべく薬は飲ませたくないと思っていましたが、本人が飲みたいと言うので飲ませることにしました。

 

ただ、このクリニックには二度と行かないという私の意見には、娘も反対しませんでした。

 

処方薬について、知り合いの薬剤師さんに尋ねたところ、それほど強い薬ではない、と言ってくれました。

ただ、まだ高校生であることを考えると薬をずっと飲み続けるのか?も考えることも大事。セカンドオピニオンを受けた方がいいのではと言われました。

 

それもあって、それから1週間くらいして、もう一つ予約していたクリニックに行きました。

(そこでのことはまだ別でお話ししたいと思います。)

 

飲み始めてすぐに副作用の吐き気が出て、食欲が落ちましたが、1週間くらいで落ち着きました。

 

レクサプロはネットで検索するとわかりますが、脳内物質のセロトニンをコントロールする薬で、一般的にもよく処方されるもののようです。

 

ですが、副作用もあります。

 

娘は、飲んだり飲まなかったりを繰り返しながらではありますが、ずーっと飲んできました。

 

娘の調子が悪い時は、私の方が飲んだかどうか、何度も確認したりしていました。

 

でも、

 

今は、

 

全く飲んでいません。

 

そして、飲んでいた頃よりも

 

圧倒的に安定

 

しています。

 

もしかしたら、大学に入学してすぐの頃のめまいなどの体調不良は、薬を絶ったためかもしれません。

 

まだまだ不安定なこともありますが、新しい友達と遊んだり、たまに休んだりしながらもほぼ毎日学校に通っています。

 

一人親元離れて頑張ることができているのです。

この子は大丈夫

そう思うことも大事なようです。

 

娘の新生活はまだまだ始まったばかり。

 

楽しい大学生活を送れるように、離れた場所から気をかけつつ、娘からのヘルプにいつでも応えられるように、もうしばらくは緊張感を持ち続けようと思います。

色々ありましたが...公募推薦で大学合格❗️

昨年の11月に公募推薦で大学合格しました!

 

と書くと、昨年の3月の「大学受験へのスタート」からスムーズに合格まで行き着いたように思われると思います。

 

でも、本当に本当に険しい山が立ちはだかっていました。

 

スタート時点で既にその山にさしかかっていたのだと、今になって気付きます。

 

極度の体調不良

 

うつ病診断

 

不登校

 

他校への編入

 

などなど

 

昨年後半は目まぐるしく過ぎていきました。

 

ただただ必死に、高校卒業と大学進学できる道を探しました。

 

そして、最後にいただいたご褒美が、まさかの

 

公募推薦合格

 

だったのです。

 

推薦申し込みの月に編入した娘を編入先の高校から推薦していただけたこと

 

推薦書類(前の高校の書類も含め)が間に合ったこと

 

推薦締め切り数日前に編入した娘を合格させていただけたこと

 

すべてが奇跡だと思います。

 

私も今の高校の校長先生も、正直かなり難しいと思っていました。

 

きっと娘もそうだったと思います。

 

でもいただけた合格は、生きる希望すら失っていた娘への神様からのご褒美でした。

 

4月から念願の一人暮らしをする予定です。

 

おそらく、その後一緒に生活することはないでしょう。

 

就職で戻ってくることはないと思うからです。

 

だからこそ、残りの数ヶ月を大切に、そして楽しく過ごしたいと思っています。

 

半年くらい前のネットのニュースで、コロナ禍で高校生のうつ病が増えていること、そして特に女子高校生で増えていると読んだことがあります。

 

次回からは、娘のうつ病のことについても書いていきたいと思います。

 

まだ治ったわけではないと思いますが、娘と親である私の経験を、少しでもお伝えしたいのです。

 

 

大学受験!へのスタート

娘が2月から塾へ通い始めました。

 

いよいよ

 

大学受験!へのスタート

 

を切ったのです。

 

高校受験のときにお世話になった塾に、また通いだしました。

 

「大学に行って、旅行とか留学とかいっぱいやりたいことある‼」

 

といっています。

 

高校受験のときは、塾に通い始めたのが受験の前月。

 

中学校で一度も授業を受けたことのない娘にとって、それから受験勉強を始めるにはあまりにも時間が足りませんでした。

 

 行きたかった高校はもちろん、「ここは大丈夫でしょう」と思っていた高校も不合格。

 

そんな体験を活かすべく(⁉)娘的には早めの塾通いを始めたのです。

 

いや、早めではないですね。

 

去年から「塾に行かなきゃやばい!」と何度も言っていました。

 

でも、そこから具体的な話をしないので、

 

本気で通う気になるまで待とう

 

と思い。

 

「いつから塾通うの?」

 

という言葉を何度も飲み込みながら待っていました。

 

年が明けて1月も終わるころ、やっと娘の口から

 

「塾に面談の電話しといてくれない?もうほんとに塾行かないとやばいから。」

 

という言葉が出たのです‼

 

二人で話し合った結果、前に通っていた塾のほうが色んな事情を知っているし、適度に近くて交通の便もいいから、という理由で塾を決め、すぐに連絡しました。

 

2月1日に塾長と面談をし、その場ですぐに週に3日通う日を決めた娘。

 

塾長からははっきりと

 

「この大学に受かるのは高校受験のときよりも厳しいけど、それでも頑張る『覚悟』をこの場でしてください。」

 

と言われました。

 

通い始めて1ヶ月半。

 

問題がわからなすぎて半べそかきながら帰宅する日もあります。

 

でも翌日からはまた気持ちを入れ替えて勉強に取り組む姿に、娘の成長に驚きを感じます。

 

3年前の高校受験のときとは全く違う、大きく成長した娘を見ながら、1年後に笑顔で新生活を迎える姿を想像できるのです。

 

きっと大丈夫

 

大学受験へ向けてスタートしたばかりです。

 

まだまだ高校生。

 

気分のむらや勉強へのモチベーションの浮き沈みもあると思います。

 

でも、

 

娘を信じて見守ること。

 

娘が助けを求めたときはしっかりとフォローしてあげること。

 

私自身が日々を大切に「そ・わ・か」(掃除、笑い、感謝)で生きること。

 

を胸に、親としてどんと構えていたいと思います。

 

そういえば、いつの間にか

 

「今日、学校休みたい。」

 

って聞かなくなりました。

 

娘も私も、今は前を見て走っているからかもしれません。

 

後ろを振り返ってばかりいると、前を見据えることもしづらなりますね。

 

 

 

 

体力よりも『気力』

朝、なかなか起きられなかったり、きついから学校に送ってと言われたときに

 

体力がないからだよ

 

と思っていました。

 

そして夜になると、早く寝て体を休めたほうがいいという想いから

 

「早く寝なさいよ」

 

と言ってしまっていました。

 

でも、よくよく娘の行動を見ていると、早く寝ても翌朝起きられなかったり、遅くても友達と楽しそうに電話してから寝た翌朝は早く起きられたりします。

 

結局、娘を動かすのは

 

体力よりも『気力』

 

なのです。

 

『気力』がついたら体力をつける

 

いえ、

 

『気力』がついたら体力ついてくる

 

のかもしれません。

 

『気力』がないから体が動かない

 

ので体力なんかつくはずがないのです。

 

 

私はずっと逆の発想をしていました。

 

どこかに出かけても、すぐに

 

「疲れた」

 

とか

 

「足が痛い」

 

と帰りたがる娘に、なんとか体力をつけさせなきゃと思っていたのです。

 

体力がないから家でごろごろして出かけたがらず、ひきこもってしまうのだと。

 

中学のときは一度も授業を受けたことがない娘が、高校に入り自転車で登校したり、体育の授業でバスケや水泳、持久走をこなすことができたのは、体力ではなく『気力』のおかげなのです。

 

でも、気力だけで頑張っていても、やはり体力的にきつくなって休むこともあります。

 

朝、自転車登校する気力がなくて車で送ってと言うこともあります。

(自転車を積んでいくので帰りはなるべく自転車で帰らせるようにしています)

 

そしてまた気力を養って頑張る。

 

 

そうやって入学からこれまで、なんとかやってこれたのかなと思います。

 

子供が「疲れた」とか「きつい」と言うときは、その子の『気力』を養うためには何がいいのかを考えてあげることです。

 

うちの子の場合は、食べることが好きなので、一緒に回転ずしに行ったり、おいしいお菓子を買ってきたり、からあげなどの好きなおかずを作ってあげたりします。他には、好きなマンガを読んだり、大声で歌ったり、友達とオンライゲームを楽しむことでしょうか。

 

そうやっていると、娘なりに自分の気力が落ちているときの対処法を見つけ、親元を離れても自分でそれに気づきコントロールできるようになると思います。

 

高校生まではまだ子供です。

 

親として今できることを。

 

自分が疲れているとついつい雑な対応をしてしまいますが、その都度反省・・・の繰り返しです。

 

体力よりも『気力』

 

私自身も気分があがることを増やしていこうと思います。

我が子に ぞわっ

  我が子に抱きつかれたり、手を握られたりしたときに

 

ぞわっ

 

とすることはありませんか?

 

そして、親なのにそんな反応をしてしまう自分に対しての

 

嫌悪感

 

や、子供に対しての

 

罪悪感

 

を感じてしまうことはありませんか?

 

もしそう感じているのであれば、それはその子のことを想っている証拠なのです。

 

想っていなかったら、ぞわっとしてしまうこと自体をなんとも思わない(感じない)からです。

 

いつしかそんな反応も和らいだり、なくなったりします。

 

 

私の場合は、 娘が小学4年生になり不登校が始まってしばらくしてから、

 

ぞわっ

 

としている自分に気づきました。

 

娘が小学校低学年まではそんなことなかったような気がします。

 

これって親として失格?

 

と、それを認めることが怖く、誰にも言えずにいました。

 

娘から抱きつかれたときに素直に抱きしめてあげることができず、なんとか気づかれないように抱きしめる

 

『ふり』

 

をしていました。

 

でも、敏感な娘はそれに気づいていたのかもしれません。

 

その申し訳ない

 

『拒否反応』

 

はずっと続きました。

 

娘は中学生になっても

 

「たすけてー」

 

などと言いながら抱きついてきました。

 

もしかしたら

 

『本気で』

 

抱きしめてほしくて何度もトライしていたのかもしれません。

 

そして

 

「今回もだめだった」

 

と心を痛めていたのかもしれません。

 

そんな娘も中学3年生になったくらいから、抱きついてこなくなりました。

 

そんなころ、不登校の小学生の娘さんを持っている方とお話をする機会がありました。

 

その方が

 

「私、娘に抱きつかれるとゾッとするんですよねぇ。」

 

と平然と言われたのです。

 

そのとき、

 

「私だけじゃなかったんだ!」

 

とホッとしたのを覚えています。

 

その方は、下に男の子がいて、その子から抱きつかれてもゾッとしないと言われていました。

 

私にはもう一人、上に娘がいますが、その子から抱きつかれた記憶はありません。

 

だから、上の子に抱きつかれても同じようにぞわっとしたのかどうかはわかりません。

 

でも、子供が二人以上いる場合、相性の合う度合いが違うのは仕方のないことだと思います。

 

なぜなら、子供達にもそれぞれ個性があり、そして親にももちろん個性があるからです。

 

でも、それが愛情の多い少ないとは直結しないと思っています。

 

 

 

娘が高校生になってすぐのころ、すごく嫌なことがありワーワー泣いているときがありました。

 

「大丈夫、大丈夫。」

 

と娘の頭をなでながら抱きしめたとき、

 

「ぞわっ」

 

とはしませんでした。

 

たまたまこのときがしなかっただけで、その感覚が全くなくなったわけではないかもしれません。

 

でもこの行動が自然ととれたのは、私の中で何かが変わったからに違いありません。

 

でも、思うのです。

 

こんな年齢になった私でも、

 

頑張ったね

 

おつかれさま

 

と頭をなでられたら、すごく嬉しいと思うのです。

 

だから、できるうちに娘にそういうこともしてあげるといいかもしれないなと。

 

こうして毎日一緒に過ごせるのも、もしかしたら高校卒業までかもしれません。

 

すごくすごく辛かった時期は先を見てばかりで、とてつもなく長く暗いトンネルだと思っていましたが、それでも何もしなくても時は過ぎていて、同じ場所にとどまっているいるわけではないのです。

 

 今日一日も前に進んでいることを信じて、大切に過ごそうと思います。

 

「死にたい」という娘に

「死にたい」

 

という娘に、なんと声をかければよいのか・・・。

 

「生きたくても生きられない人がいるんだから、そんなこと言わないの!」

 

と言いたくなりますが、そこはぐっとこらえて

 

「そっかそっか、そんないつらいんだね。」

 

とそばに行き、ただただ娘の言葉を待ちます。

 

すると娘は、何も楽しみがない、やる気が起きない、生きてる意味がない、人生やり直したい、もう嫌だ・・・

などと言い放ちます。

 

そしたら、

 

「そっかー。ただね、まだまだ数年しか生きてないでしょ。楽しいことがあるのはこれからだよ。好きな場所に行ったり、好きなことを自由にできるのはこれからだよ。」

 

と伝えます。

 

すると

 

「そんなのできるかどうかわからないじゃん。」

 

という娘ですが、そのころには少し落ち着いています。

 

 

夏休みが明けてちょうど一ヶ月。

 

『九月病』といわれるものがあるように、長い休み明けは子供達にとってとても力がいる時期かもしれません。

 

自ら命を絶つ児童生徒が一番多いのもこの時期です。

 

娘も、この一ヶ月はとても不安定で、微熱が続いたり、一日に何度もお腹を壊したりと体調不良が続きました。

 

そして

 

「死にたい」

 

と口にすることもありました。

 

そんな様子に私も動揺し、通信制高校を調べたりしました。

 

すると、なぜ今まで気づかなかったのだろうということがわかりました。

 

娘の高校は単位制なので、今まで取得した単位を活かして通信制高校編入すれば、留年なく卒業できることがわかったのです。

(今まで気づかなかったなんて情けない!!)

今までは、転校すればまた一年生から入学になると思っていたので、私はなんだかすごい発見をした気分になりました。

 

そして、夕食を食べながら「明日学校に行きたくないなー」という娘に、その話をしました。

 

体に不調が現れるほどに思い悩んでいる娘をなんとか救いたい、と思ったのです。

 

すると娘は意外な反応だったのです。

 

「でも、せっかく入った高校だから辞めたくないって気持ちもあるんだよね。」

 

と。

 

私よりも娘のほうがよくわかってるなー

 

と感心。

 

そして

 

またやってしまったー

 

と反省。

 

そうそう、いつも私は娘の表面の様子にすぐに動揺して、どうにかしてあげなきゃと

 

『逃げ道』

 

を探すことばかりしてしまうのです。

 

少し前に反省して、自分で壁を乗り越えなきゃ自尊心は育たないと思ったばかりだったのに。

(「私はわたしのままで生きることにした」)

 

結局、今のこの状況から逃げてしまったら、この先また同じような壁にぶつかったときも逃げることしかできないでしょう。

 

そして、そんな自分が嫌になり、自尊心も薄れる。

 

本当に命を絶つほどの状況にいるのであれば逃げるべきですが、私に「死にたい」と言っているということは、まだ気持ちを吐き出せていると思うのです。

 

だから、好きなだけ吐き出させて、そしてこの状況を乗り越えられるように応援する。

 

それしか親はできません。

 

昨日は「もう死にたい。無理。」と言っていたのに、今朝は頭痛も訴えず「今日は友達と遊んで来るからね~」と登校していく娘の姿に、やっぱり親はどっしり構えて後方支援するしかないと思います。

 

この映画一緒に観に行かない?と言われたら観に行きます。

 

元気がないときは、食べることが好きな娘の好物を買ってきたり、作ったり。

 

(先日は「マカロン15個食べたい!」と言ったので5個買ってきました(笑))

 

こんなことも今しかできない。

 

そう思います。

 

だから、「死にたい」という娘にただ寄り添い、気持ちを吐き出させてあげる。

 

数年後きっと、娘は希望する道に進み、今の不自由な生活から抜け出し、たくさんの素敵な出会いをし、やりたいことを見つけて生き生きと人生を歩んでいることでしょう。

 

私はそう信じているのです。

「私は私のままで生きることにした」

先日、韓国のイラストレーター・エッセイストであるキム・スヒョンさんの

 

「私は私のままで生きることにした」

 

という本を読みました。

 

昨年、韓国で60万部以上、日本でも30万部を超え年間ベストセラーになった本です。

 

娘が韓国好きなこともあり読みたいと言ったので、私も興味がわき古本屋で購入しました。

 

学歴社会で人の価値を数字で評価する傾向にある韓国で、自分を責めたり、みじめに思ってる人たちへ

 

「あなたはなにも間違ってないから、自分らしく生きていけばいい」

 

というメッセージを込めた内容です。

 

この本を読んで

今の私に必要な事、そして変わりたいと思ったこと

が二つあります。

 

 

ひとつは

 

『自尊心を高める(娘と私の)』

 

もうひとつは

 

『自分で選択すること』

 

 

ひとつめの

 

『自尊心を高める』

 

ということについて。

 

私自身、いつも自尊心の低さを悩んでいて、だから娘も低いのではないかと思っていました。

 

この本の中で、以前、韓国のドキュメンタリー番組で親の態度が子供の自尊心にどのような影響を与えるか実験をしたことについて書かれています。

 

 子供達にパズルのピースを渡し、パズルを完成させるのが難しいとわかったときの親の行動が

 

自尊心の低い子供の親は自分が代わりにパズルを解こうとし、自尊心の高い子供の親は子供が自分で完成させるまでじっと待っていた

 

というのです。

 

(なぜそうなるのかは、ぜひこの本を読んでみてください)

 

この部分を読んだとき、私はドキッとしました。

 

そう、私はまさしくこの

 

自分が代わりにパズルを解こうとする親

 

だったのです。

 

今でも、「じっと待つ」ことが苦手でついつい高校生の娘に勝手に手を貸してしまいます。

 

 自尊心は、自分自身で問題を解決したり、目標を達成することで得られる自分への信頼や尊重によって育つ。

 

結局は自分自身やってみることが大切なんですね。

 

不登校の娘をかわいそうに思うあまりに、その子の目の前に立ちはだかった壁を崩し、邪魔を取り払い、子供が進みやすいようにとあれこれ手を出すことでは、その子の自尊心は育たないのですね。

 

 

ふたつめの

 

『自分で選択すること』

 

 について

 

 

これまでの私の人生で何万回何十万回と様々な選択をする必要がありましたが、重要な選択をする場面で、自分自身ではなく他人の意思を尊重することが多かったような気がします。

 

例えば

 

高校卒業後の進路決定

 

育休明けの復職を辞めるとき

 

取りたい資格をあきらめたとき

 

自分がこうしたいなと思っていても親や主人の考えが違っていたときに、話し合いをしたり自分の考えを相手に伝えたりすることを避け、「まぁいいか」と相手の考えに沿った選択をすることが多々ありました。

 

「あのときこっちを選択していたら」

 

と、過去のことを悔やんでも仕方ないし、それがよかったのかどうかなんて誰にもわからないことです。

 

でも、これからは

 

自分で

 

選択していこうと思います。

 

だから、納得いくまで相手と話をすることを避けないように心掛けています。

 

このまま話をしていたら相手が気分を悪くするかもな、と思ったらそこで話をするのをやめていましたが、今はそれでも話を続けます。

 

私はこういう理由でこう考えている、ということを伝える。

 

そして相手はどういう考えなのかを理解できるまで聞いてみる。

 

そして娘たちにも

 

自分で選択

 

してほしい。

 

だから、

 

「必要以上に手だし口出しをしないようにする」

 

と決めました。

 

結局

 

『自分で選択すること』

 

 

『自尊心を高める』

 

ことにつながるのでしょう。

おひさまパワー‼

『おひさまパワー』はすごいんです‼

 

とくに朝日は。

 

朝日を浴びる

『幸せホルモン』と言われるセロトニンが脳内で活発に合成される

夜になるとセロトニンを材料として

『眠くなるホルモン』メラトニンが合成される

よい睡眠をとりやすくなる

 

朝の目覚めがよくなる(楽になる)

 

のです。

 

だから私は、朝起きるとまず自分の寝室の部屋のカーテンと窓を開けます。

 

それから娘の部屋に行きカーテンを開けます。

 

もちろん娘はまだ眠っていて、起きる気配はありません。

 

直接朝日が娘に当たるわけではありませんが、部屋の中に光が入って明るくなり、朝が来たことに脳が反応してくれているように思います。

 

専門書にも、直接でなくても朝日の当たる窓際近くにいるだけでもよいとあります。

 

目覚ましの音すら聞こえないこともあったり、起こしに行ってもなかなか起きられなかった娘が、だんだん寝起きがよくなり自分で目覚ましで起きたり、起こしに行ったとしても一度で起きられるようになってきたのです。

 

でも、一番変わったのは、朝起きるときではなく、寝つがよくなり、また熟睡もできるようになったことです。

 

  もちろん今は学校に行く日が増えた分、疲れもあって寝つきがよくなったことも考えられます。

 

でも、高校に入学してからしばらくは、疲れすぎて眠れないという日もよくあったのです。

 

だからきっと、熟睡できるようになった一因には朝日もあると思います。

 

娘が中学生のとき、昼間は家でゴロゴロとゲームやインターネットをし、夜になると

 

「眠れない」

 

とよく訴えていました。

 

その頃も『おひさまパワー』は知っていましたが、一週間近く朝カーテンを開けていましたが、すぐに効果が出なくてやめてしまいました。

 

私は全てにおいてそうなんです。

 

せっかちで、すぐに結果がでないとあきらめるのです。

 

でも、娘のことを本当に思うなら「本気で継続」。

 

今、私にできることをできる範囲でやること。

 

『おひさまパワー』をいただいて。

 

2018年3月21日の日記

新型コロナウィルスのおかげで娘の高校も臨時休校になり、2ヵ月ほどが経ちました。

 

私が今仕事をしていないこともあり、娘と過ごす時間がものすごく増えました。

 

そんな中、ひたすら自宅にこもっていた不登校の頃の娘のことを思い出し、今はその時とは全く違う気持ちでお互いが過ごせていることがとてもありがたく感じます。

 

ふと思い立ち、その頃の日記を読み返してみました。

 

2018年3月21日

 

普通の中学生の生活をさせてあげられなくて、本当にごめんね。

 

友達とおしゃべり、笑ったり遊んだり

 

そんな、今しかできない、たあいもない生活

 

それができないなんて本当ごめんね。

 

ママがもっと愛情もって接して、〇〇が自信を持って外に向いていけるようになっていれば、こんなことにはならなかったね。

 

本当にごめんね。

 

悲しいね。つらいね。

 

本当にごめんね。』

 

娘が中学3年に上がるときの春休み前くらいでしょうか。

 

娘が受験生になることへの不安や、中学生になってからもほとんど変わらない状態が2年も続いてしまったことへのあせりもあったのだと思います。

 

そして、たまにワーワーと泣きわめく娘のことがかわいそうで、何もできない自分のことが情けなく、申し訳なくて書いた日記です。

 

でも、

 

ほんの2年前

 

の日記なのです。

 

このときは、今のような状況は全く想像できていませんでした。

 

ただただ、絶望とあせり、そして自分への嫌悪感でいっぱいだったのです。

 

「ほんの2年前」の私に伝えてあげたい。

 

子供は、本当に親が思うよりもずっとずっと内に秘める力を持っているから、その力を信じて。

 

自分を責めず、子供を信じて、今を、そして今日を感謝しながら過ごすことが大事。

 

 

そして、それから2か月半ほどしてからの日記には

 

●喜怒哀楽などの感情表現を豊かにすること

 

●自身の人生を楽しむこと

 

●子育てを楽しむこと

 

●自身が幸せを感じること

 

とあります。

 

娘のことばかりが中心だったのが、なぜかここでは

 

「私主体」

 

になっているのです。

 

何があったのか覚えてはいませんが、本かなにか読んだのでしょう。

 

でも、今になって思います。

 

親がいつもいつも子供のことを中心に考え、注目しすぎて、その行動に一喜一憂していたら、子供は窮屈で仕方ないでしょう。

 

だから、ここに書いてある4つのことは、親として重要なことです。

 

これから2年ほどすると、高校を卒業する予定です。

 

でも、

 

「しない」

 

かもしれません。

 

卒業「できない」

 

のではなく

 

卒業「しない」

 

のです。

 

学校に行けなくて卒業できなくなるのではなく、自主的に退学を選択するというのであれば、それもありかなと思っています。

 

本当にやりたいことが見つかって、今の高校でみんなと一緒に授業を受ける時間が無駄だとかもったいないと思ったときには、それもありかなと。

 

「高校中退もありかな」なんて2年前の私では考えられないことです。

 

2年前の日記で、娘に「ごめんね」と謝ることしかできなかった私も、少しは成長できた証ではないでしょうか?

 

 

お風呂やめました

1年くらい前に

 

お風呂に入るのをやめました。

 

といっても、シャワーは毎日浴びています。

 

バスタブにお湯をためて入るのをやめたのです。

 

 

 

理由はふたつあります。

 

ひとつ目は、 娘がバスタブにつかるのが好きではなく、お湯をためなくていいと言うからです。

 

ふたつ目は、お湯をためると、そのお湯が冷めないようにと「早く入りなさい」と何度も言ってしまうことに疲れたからです。

 

バスタブにお湯をためて毎日お風呂に入ることは、実は『当たり前』ではないのです。

 

沖縄ではバスタブがないアパートは珍しくありませんし、海外だとそ逆にのような習慣がある国は少ないでしょう。

 

だから

 

自分が思いこんでいる『当たり前』

 

をひとつ捨てることにしたのです。

 

 

お風呂をやめたら、すごく楽になりました。

 

私も娘も、お風呂に関してはストレスがかなり減ったと思います。

 

私は、お湯が冷めることを心配しなくてよいので、どっちが先に入るとか次に入るのであれば早く入らなきゃと思うこともありません。

 

娘のほうは、「早く早く」とせかされることがなくなりました。

 

娘がお風呂に入らなったり、バスタブにつからなかった日に

 

「あーあ、私一人のためにバスタブにためたお湯がもったいなかったなぁ。ためなきゃよかった。」

 

と、落ち込むこともなくなったのです。

 

自分の『当たり前』が他の人にとっても『当たり前』でないことは、他にもたくさんあると思うのです。

 

自分基準の『当たり前』にとらわれすぎて、そうでない家族や他人に対して「なんで?」「どうして?」と責める気持ちが生まれてくることもあります。

 

はたしてその『当たり前』は、本当に『当たり前』なのか?

 

そんなに固持しなくてはならないものなのか?

 

考えてみるのもいいかもしれません。

 

コロナウィルスの影響で、子供と過ごす時間が増えている人も多いと思いますが、そんな中で

 

自分の基準の『当たり前』を子供にも求めすぎていないでしょうか?

 

いままでの『当たり前』をひとつ捨ててみることで自分自身が楽になり、周りの人も楽になる。

 

一度見つめ直してみませんか?

 

HSP (Highly sensitive person)

HSP (Highly sensitive person)

 

という言葉を知っていますか?

 

昨夜、「世界一受けたい授業」を観ていたら、この言葉の授業があっていました。

 

『高度な感覚処理感受性を持つ人のこと』

(ウィキペディア)

 

をさすそうで、病気や障害ではなく、

 

生まれ持った『気質』

 

で、人口の5人に1人という高い割合の人が持っているそうです。

 

例えば、音に敏感とか、周りへの配慮に欠けた人の行動が気になるとか、頼まれごとを断れない、人の機嫌が気になるとか・・・。

 

観ながら、娘は全部当てはまるなと思いました。

 

【音に敏感】

 

 ・買い物に出かけるときはよくイヤホンをして周りの音が聞こえにくいようにする。

 

 ・学校の教室では色んな人の声がよく聞こえる(これを娘は「私は耳がいいから」と言っています。)

 

【周りへの配慮に欠けた人の行動が気になる】

 

 ・お店で一緒に買い物をしていると、誰かが横を通るたびに私の腕を引っ張り、その人が通りやすいようにする。

 

 ・同じクラスの子が自分のことしか考えずに好き勝手に発言するのが許せない。

 

【頼まれごとを断れない】

 

 ・友達や先生から何か頼まれると、やりたくないことや時間的に余裕がなくてもやってあげる。やると返事をしたあとに、後悔とそんな自分を責める。これに関しては、いつも私が「できないって言っていいんだよ」と言うのですが、「それができるんならこんなに苦労してないし。」と反論してきます。

 

【人の機嫌が気になる】

  

 ・私に対しても、よく「何か怒ってる?」と聞いてきます。(確かに機嫌悪い時です)

 

 ・主人が機嫌が悪いときは直接本人には聞いたりせず、機嫌をとるような行動をしたり、こっそり私に「何で機嫌悪いの?」と心配して聞いてきます。

  

 

隣で見ていた娘が

 

「これ絶対私じゃん!」

 

とすぐにスマホで「HSP診断」をやりました。

 

すると

 

「あなたはHSPです」

 

という結果に。

 

その後、私と主人もやってみたところ、両方とも同じくあてはまりました。

 

そのサイトの診断の信ぴょう性はわかりませんが、娘に関してはそうなのだろうなと思います。

 

その授業の最後に、ご本人もHSPである武田友紀先生が

 

敏感だからこそ、周りの人への細かいケアできたり、想像力が豊かで小さなことにも感動できるHSPの人には

 

「だからこそ素敵な未来が待っています」

というようなことを言われていました。

 

こんなに周りのことを気にしてばかりで

 

『かわいそう』

 

と、以前は思っていました。

 

でも、そう思うのは絶対によくありません。

 

こんなに繊細だからこそ、できることがある。

 

今はまだその

 

生まれ持った『気質』

 

を活かせる力がなかったり、活かせる方法が見つかっていないかもしれないけど、必ず素敵な未来が待っています!

 

そう思って、私達親が笑顔で、その子を信じていてあげること。

 

それが一番大切だと思うのです。

子供のもつ力を信じて 過小評価しない!

コロナウィルスのおかげで学校が休校になり、最初は嬉しそうにしていた娘ですが、

さすがに退屈してきているようです。

 

毎日のように高校の友達とオンラインゲームをし、数回は遊んだりしていました。

 

春休み前に数日の登校日はあるようですが、ほぼ1ケ月もお休みになることが、新年度の娘のスタートにどのように影響するのでしょうか。

 

十分に充電して元気に登校するのか、久しぶりの登校に緊張し心も体も対応できず、行きしぶるのか⁈

 

 

娘は高校に入学してから、たくさんの

 

『数年ぶり』

 

を経験しました。

 

小学校以来の教室での授業

 

小学校以来の体育の授業

 

小学校以来の体育祭競技への参加

 

などなど。

 

色んな

 

『数年ぶり』

 

のことに、私の方が緊張して、大丈夫かな?できるのかな?と思っていました。

 

でも、本当に子供の力って

 

親が思う以上にすごい

 

んだなと思います。

 

水泳の授業では、いつも女子では一番だったようです。

 

「そうだった、この子はやればできる子だったなぁ。」

 ずっと

 

『参加しない』

 

ことを選択してきた娘が、色んな力があることを忘れていました。

 

寒くなってくると、体育の授業が持久走になりました。

 

娘の高校では、持久走はタイムリミットがあり、それを超えてしまうと補習を受けなければなりません。

 

そのタイムリミットをなかなか切ることが出来ず、補習ばかりが増えていきました。

 

これに娘は納得がいかなかったようで、毎日のように、

 

「ズルしてるわけじゃないのに。」

 

と半べそをかいていました。

 

それでも最後にはタイムを切ることができ、補習もすべて受けることができたのです。

 

『参加しない』

 

ばかりを選択しているときは、その子がどんな力を持っていたかを忘れてしまいがちです。

 

でも、今はその力を出せないだけなのです。

 

思い出してください。

 

その子はあんなことができたり、こんなことが得意だったりしたはずです。

 

だから

 

子供のもつ力を信じて、過小評価しない!

 

でください。

 

そして、日々その子ができたこと、得意なことをほめてあげるのです。

 

決して

 

「前はこんなことできたよね」

 

 

「前はできたんだからできるはずだよ」

 

などは言わないでください。

 

今できないことに苦しんでいるのに、前のことを引き出されるとますます辛くさせるだけです。

 

今にフォーカスして今のままをほめる

 

いつかまた、その力を発揮できるようになるはずですから。

ママのせい‼︎

「私がこんなふうになったのは

 

『ママのせい』

 

なんだよ‼︎」

 

先日、娘に言われた言葉。

 

 

私が、リビングに置いてある自分の荷物をかたづけなさいと娘に注意したときのこと。

 

今からドラマ観るから、といったんは反抗した娘でした。

 

それに苛立ちを感じた私は、キッチンで料理を始めました。

 

するとしばらくして、ドラマを観ていた娘が私のところにきて

 

「今日のご飯何?」

 

と聞いてきました。

 

「まだ決まってないよ。」

 

私の顔色をうかがいに話しかけてきた娘に対して、私の気持ちがまだおさまっておらず、冷たい対応をしてしまいました。

 

すると、ドラマがまだ途中にも関わらず、さっき注意した荷物の片付けを始めたのです。

 

はっとして娘のところに行き、

 

「なんで片付けしてんの?今はしないって言ってたでしょ?」

 

というと

 

「だってママが怒ってるから。」

 

と私に背を向けたまま言いました。

 

「今はドラマ観てたんでしょ。終わってからでいいよ。

たしかにママは怒ってたけど、そんなの親子なんだからケンカするのが普通でしょ。気にしなくていいんだよ。」

 

そういうと、

 

「普通って何?

普通にできないからこんなに苦しんでんでしょ!」

 

その瞬間、背中越しに娘の涙がこぼれ落ちるのが見えました。

 

そして、2階の自室へと上がっていったのです。

 

少しして娘の部屋に行くと、ベットの中で泣いていました。

 

横に座ると、しばらくして吐き出してくれました。

 

「私がこんなふうになったのはママのせいなんだよ‼︎」

 

娘には3つ上のお姉ちゃんがいます。

 

娘にとっては

 

憧れの、すごい人

 

です。

 

普通に学校に行って、勉強もして、大学も行って。

 

私は、無意識のうちに二人に対する態度が違っていたようで、それに娘は苦しんでいたのです。

 

頭が痛いと訴えた時に、お姉ちゃんのときは心配するのに、私のときは心配してくれなくて

 

「またか」

 

という顔をする、と。

 

だから、何度も何度も試したけど

 

いつもそうだった

 

と。

 

前にもそれを言われたことがあります。

 

だから気をつけているつもりでしたが、まだまだ無意識にそうしていることがあるのかもしれません。

 

「まだそうしてるかな?」

 

「ママがそうじゃないと思うんだったら、そうじゃないんじゃない?。」

 

 

今は、長女は県外で一人暮らしをしているので、そのような場面は少ないのですが、その分、帰省しているときは私が色々気を遣っているのかもしれません。

それを横目に、娘は心を痛めていたのかもしれません。

 

「私のことも心配してよ!」

 

と心の中で訴えながら、私の冷たい態度に打ちのめされていたのかと思うと、申し訳なくて申し訳なくて心が痛み、親として未熟な自分が情けなくなります。

 

子供達に同じように接しているつもりでも、子供達からすると態度が違うというのはよく聞きますが、それが子供にとってとても大きな心の傷となることがあるのです。

 

そして、その傷はなかなか癒えずに娘のように苦しむことになるのです。

 

それは自己肯定感を低くし、周りに一生懸命気を遣うことでなんとか自分の存在価値を見出そうとするのです。

 

学校では

 

「私が我慢すればこの場が収まる。」

 

家庭では、家族の誰かが不機嫌になったりすると

 

「私が気持ちを抑えて笑顔を作れば、この険悪なムードがどうにかなる。」

 

そうやって、外でも内でも気を遣い、心が疲れてしまったのです。

 

 

今は、主人や長女が別に暮らしているので、気を遣う頻度は減っているとは思います。

 

でも、どんな状況でも

 

「私は私ののままで大丈夫。価値のある人間なんだ。」

 

そう思ってもらえるように

 

「あなたはあなたのままで大丈夫。そのままで大切な存在なんだよ。」

 

と伝え続けること。

 

まだまだ時間はかかりそうですが、あきらめず伝え続けます。