不登校×高校受験 Part1
高校受験・・・
本当に苦戦しました。
まさかここまで合格をもらうことが難しいのかと、愕然としました。
ここまで苦戦した原因は主に2つです。
①受験勉強を開始したのが中3の11月下旬だったため、時間が足りなかったこと。
※この時の娘の学力は小学6年生程度。中学の学習はほとんどしていませんでした。
②受かる可能性が高い安全圏ではなく、娘が行きたい学校を無理して受験したこと。
①に関しては悔いが残ります。中3になり登校することを頑張っている娘に、さらに勉強まで頑張れとはなかなか言えない情けない母親でした。せめて夏休みから始めていたら、また結果は違っていたかもしれません。
②に関しては、これでよかったと思います。もしも、安全圏の高校を受験して合格していたら、「もしかしたら、行きたかった高校も合格できていたかもしれない。」と、いつまでも悔やむことになったかもしれないからです。
今、娘が通っている高校は公立で、もともと行く気は全くなかった学校です。
そもそも公立高校自体を、出席日数が極端に少ないため内申書の時点で合格はいただけないと、あきらめてもいました。
学力的には、公立高校の中では最下位だと思います。
色んな生徒さんがいます。
でも、色んな問題が日々発生する中でも、友達ができ、毎日のように遊び、休みたくても迎えに来てくれる友達がいるから起きて準備し、自転車に乗って登校しています。
私が娘に望む一番重要なことは、
楽しい高校生活を送ってほしい
ということです。
もちろん、勉強もしてほしいです。
でも、何よりも楽しい高校生活を送ってほしいのです。
これまでの5年間は、ほんとうに辛い日々でした。
毎日毎日、一日が早く終わってくれることを考えながら悶々と家で過ごした日々。
そんな娘に、とにかく友達と過ごす楽しさを味わってほしかった。
きっと、そのうち勉強もするようになります。
大学に行きたいと言っていますし、短期間での受験勉強の大変さは娘自身がよくわかっているからです。
中3の初日から、これまでほとんど登校しなかった娘が週に1日休むか休まないかというくらいまで登校するようになりました。
(そのきっかけは【再登校のきっかけは・・・】をご覧ください。)
最初は保健室だったのが、そのうち教育相談室に登校するようになりました。
教育相談室というのは、本来の自分の教室に行けない子が来て勉強したりすることができる教室で、その頃、全学年で6人くらいは来ていたようです。
登校はするようになりましたが、学校にいる時間はまちまちで、1時間程度だったり、ときには数時間だったりでした。
教育相談室では基本的に自習です。必ず先生が一人いらっしゃって、勉強でわからないことがあれば質問できるようになっています。
1学期は7割以上登校していますが、相談室では本を読んだり、保健室のお手伝いをしたりするだけで勉強はほとんどしていませんでした。
担任の先生や相談室の先生方は、受験を心配してくださり、少しずつ勉強を始めることを勧めてくださっていましたが、なかなか娘は動こうとはしません。
私は、勉強のことはほとんど口にはしませんでしたが、通信制の高校やサポート校、専門学校を調べていました。
6月くらいから色んな高校で体験入学があります。
友達と行く約束をしていても、当日の朝になると頭が痛くて行けなくなることがありました。どうしても、同じ中学の子が来ているので、その目が気になっていたのでしょう。
ですが、市外の高校の体験入学には行けました。友達のお母さんが車で連れて行ってつれました。ここは、同じ中学から他に希望者がいないことがわかっていたからだと思います。
帰宅してから、とにかく楽しそうと言っていました。特に、部活がどれも楽しそうと。
ですが、その高校は自宅から通うのは電車やバスを乗り継いで1時間半以上かかるところでした。乗り物酔いをする娘には到底無理でした。寮もあるのですが2人部屋しかなく、娘は断念したようです。
そのころから、娘はある高校に行きたいと言い出しました。
それまでは、美容専門学校でもよいと言っていたのですが、知り合いの高校生に街で会った時に、とにかく楽しそうだったから私もあの高校に行きたいと。
制服は有名デザイナーがデザインされたおしゃれなもので、とても人気のある高校でした。立地も街から近くて、放課後遊んで帰るにはちょうど良い場所にありました。
夏休みにこの高校のオープンスクールがあったので、2人で出かけました。
学校の近くに車を停め、歩いて高校に向かう間、娘の顔がこわばります。
同じくオープンスクールに来た大勢の中学生たちとすれ違うからです。
やっと校門についたところで、
「やっぱり帰る」
と言うのです。
私は、わざわざ来たのにという気持ちが勝り、パンフレットだけもらってくるから待っててと、早く帰りたい娘を一人残し、中に入りました。
パンフレットを手に校門に戻ってくると、近くの校舎の端に壁に向かって小さくなって立っている娘がいました。
「どうした?」
と声をかけると、
「〇〇〇(小学生のときの同級生の男子)が来てた。だからもう早く帰ろう。」
と、速足で校門から出ていきます。
このときに思いました。
「勉強して合格したとしても、通えなかったら意味がないな。」
「今のままで、高校に通える日が来るのだろうか?」
不安でいっぱいです。
車に乗ると、娘が
「ママ、怒ってる?」
と聞いてきました。
「ううん。不安なだけ。」
と、つい口から出てしまいました。
それを聞いた娘は
「そんなこと言わないでよ!私のほうが不安なんだからっ!」
と怒って車のシートを倒し、窓のほうに体を向けて横になって泣き出しました。
「そうだよね。ほんとにごめんね。」
私は、不安な娘の気持ちをあおるような言葉を吐いてしまったことに心から申し訳なく思いました。
そして、不安でもその気持ちを見せず、大丈夫といえる親に成長することを心に誓ったのです。
壁に向かって小さくなるしかなかった娘の気持ちも考えず、自分の感情を出してしまい、ますます傷つけてしまったことを反省しました。
夏休みが明けてすぐテストがありました。
県内の中学3年生が全員同じテストを受け、この結果で受験校を決めていきます。
中学に入り初めて、娘はテストを受けました。
このときは国語と数学の2教科だけしか受けませんでしたが、受けただけでも大きな進歩でした。
結果はもちろん、予想どおりでした。
しかし、2学期になってからは体調が悪い日が増え、これまでの頭痛に加え、腹痛や吐き気、立ちくらみも出てきました。保健室に顔だけ出して帰る日もありました。
精神的にも一番不安定だったのが、この時期でした。
初めてカッターでリストカットしたのもこの頃でした。
今思うと、次の大きな変化のための準備期間だったようにも思います。
大きな変化には大きな痛みが伴うのでしょう。
この時期に私が意識したことは
①何があってもどんと構えて見せる。(不安に思っても本人の前では見せない)
②父性愛(時には突き放し、嫌でもやらなきゃならないことがある、と社会性を身に着けさせるもの)を意識した対応をする。
③娘のよいところ、すごいところを常に探し、そこをほめる。(【インプットよりもアウトプットが大事!】)
の3つです。
①と②はスクールカウンセラーの先生にアドバイスいただいたこと、③は
コンプリメントで不登校は治り、子育ての悩みは解決する ?子どもの心を育て自信の水で満たす、愛情と承認の言葉がけ?
を読んで心掛けたことです。
11月になり2回目のテストを受けました。
結果は5教科250点満点中37点。うち3教科は一桁台でした。
さすがにまずいです。
しばらくして娘が塾に行きたいと言い出しました。
家庭教師のほうがよいのではと思いましたが、外に出た方がやる気もでると言うので、個別指導で、自宅から通いやすく、かつ評判もよさそうな塾を探し電話してみました。
そのときは塾長が不在で、受付された方が後で電話させますと言われました。
しばらくすると塾長から電話がありました。
「こんな時期に問い合わせなので、何か特別な事情がおありかと思い、至急連絡しました。」と言われました。
受験生なのにこんな年末になってからの問い合わせだったからでしょうが、この心遣いに感心したのを覚えています。
面談させていただき、この塾ならと思い、通わせることにしました。
当然、受験まで時間が足りないので、色々と策を練っていただきました。
冬休みは、塾の休講日以外は朝の8:30から夜の9:45まで一日塾にいるような日が続きました。 たまに遅れて良くこともありましたが、休んだことはありませんでした。
それだけ、その高校に行きたかったのでしょう。
12月末の三者面談で、担任の先生と一緒に受験校を決めます。
1月に私立の専願試験があるのですが、このときに娘が行きたいと言っていた高校を受けますと伝えると、担任の先生はかなり厳しいから、もし受けるのであれば今は受ける気のない学校も視野に入れておかなければならないと言われました。
それでも娘は受けたいと言いました。
もしだめでも後悔のないようにしたほうがよい。そう思い、専願は娘の第一希望の高校を受けました。
結果は不合格。
でも落ち込んでいる暇はなく、2月上旬に私立女子高を受験。こちらは合格はいただきました。しかし、通学するのにスクールバスで1時間ほどかかることと、女子高は行きたくないということで最初から行く気はありませんでした。受験の練習という意味と、ひとつでも合格をいただいていると精神的に違うと思い受けさせたのです。
2月中旬に私立2校を受験。
この2校も、実はランクを上げての受験でした。担任の先生からは別の高校を勧められていましたが、塾で解いた過去問題の結果がよかったのもあり、娘がランクを上げたいと言ったからです。私もひとつは受かるのではと思っていました。
しかし、どちらも不合格。
これには私も一緒に落ち込みました。
その時点で合格をいただいているのは、行く気のなかった私立の女子高のみだったからです。
そこで、この結果がわかってすぐ、前から調べておいた通信制高校に問い合わせをし、翌日に娘と一緒に話を聞きに行きました。
その高校は通信制ですが全日制をメインとしており、学習面でいうとかなり充実しているように思いました。
ですが、娘が一番気にかけていたのは、中学のときに行けなかった修学旅行でした。これが、通信制のこの学校にはありませんでした。他にも体育の授業がなかったり、部活がなかったり、普通の高校生活を楽しみたいと思っている娘の理想とは違っていました。
帰りの車中。娘と私の意見は一致していました。
学習面でいえばいいところだと思うけど、普通の高校生活と考えるとちょっと違うよね。
実は、この私立受験の前に、公立の後期の受験をするかどうかで担任の先生から打診を受けていました。受験票の準備はしていましたが、娘が出さないと言っていますがどうしますかと。
このとき、私は一応願書の提出をお願いしていました。
そこで、娘と話をして、受かるかわからないけど、最後に公立の後期試験を受けよう!と決めました。
この高校は定員割れもしていたので、他の生徒さんからすると「受かって当たり前」だったかもしれません。ですが、これまで4校受けて3校が不合格だった娘にとって、この高校の合格は最後の最後で得られたごほうびのようなものでした。
合格発表の日、高校の体育館の前に掲示された合格者の番号の中に娘の番号を見つけたときは、2人で飛び上がりました。きっと一番盛り上がっていたと思います。お互い涙をこらえながら「よかったねーよかったねー」と繰り返しました。
もしも今、中学3年生のお子さんをお持ちで、これまで不登校で勉強ができていないという方には、なんとか子供さんの気持ちを勉強に向かうように、親も真剣に何か行動を起こすことをお勧めします。
うちの場合、娘が受験勉強を始めたのが11月末だったので、本当に遅すぎました。
もちろん、無理やり勉強しなさい!はNGです。
そして、よい塾を探すことをお勧めします!
娘は塾でよい先生に出会い、よい友達に出会い、学校で授業を受ける練習をすることができました。
受験勉強だけなく、自分自身のよいところを教えていただき、のばしていただき、将来を見据えて物事を考えることの大切さまで教えていただいたようです。
塾長はじめ、塾の講師の大学生たちが、一緒に笑って泣いて応援してくださいました。
一番行きたかった高校に不合格になったときも、くさらずに最後までなんとか頑張れたのは、この塾の存在があったからです。