子供が不登校で家にいるときに、母親は仕事すべきか?
それとも辞めるべきか?
私はしたほうがいいと思います。
これも色々意見があると思います。
ここで言う「私は」とは、「私の場合は」という意味です。
私は外に出ることも好きですし、人と会ってお話しすることも好きです。
家に何日もいて、スーパーでの買い物以外、出かけることがないとストレスがたまるのがわかります。
私は、大学を卒業して就職した会社に、次女である娘を出産するまでずっと働いていました。つまり、長女、次女と2度の育児休業を取らせていただいたのです。
そして、当然復職するつもりでいましたが、義理の両親の「二人目が生まれたら仕事辞めるでしょ」という言葉に負け、退職してしまったのです。
娘が幼稚園の年少に入るまで、仕事はしませんでした。
会社の同期の仕事ぶりを耳にするたびに、私はこんなだらだらした生活でいいのだろうかと、うらやましく思うこともしばしばありました。
娘が幼稚園に入園し、さぁ何か仕事をしよう、と考え始めた矢先に、主人の海外赴任が決まりました。主人からは一緒に来るか日本に残るか考えてと言われましたが、海外で生活してみたいと独身のときから考えていた私でしたので、喜んでついていくことにしたのです。
長女が6歳、次女が4歳のときでした。
海外にいる間は主人の会社の決まりで、配偶者は仕事をしてはいけないことになっていました。ですが、向こうでは保護者が参加する学校行事も多く、またスポーツジムに行ったり、買い物、ランチと毎日のように出かけ、楽しい日々を送らせてもらいました。
長女が中学1年生、次女の娘が小学4年生になるときに帰国しましたが、最初の一年くらいは子供たちが日本での生活に慣れるまでは家のことを優先しようと仕事をしませんでした。
4年生の三学期、娘は半分以上欠席する状態でしたが、5年生になり一学期は70日の授業日数のうち、お休みしたのは9日だけでした。
これで気がゆるんだ私は仕事を探し始めました。
急にお休みすることも考え、シフト制ではなく、私が休んでも他の方の迷惑にならない仕事。そして、学校が休みになる土日祝日がお休みであるところ、に絞って探しました。
そこで決まったのが、テレホンアポインターの仕事でした。
朝の9時から午後2時まで。娘が学校に行っている間に行って帰ってくることができる時間帯です。
しかし、「外に出て誰か家族以外の人と話がしたかった」私にとってテレホンアポインターの仕事は期待外れのものでした。
ひらすら電話をかけ、隣の人と話す時間もほとんどありません。途中で軽食をとる時間がありますが10分ほどです。
また、電話帳を元に無作為にかけていくので、クレームもあります。
かけた瞬間に怒鳴られることもありました。
これは、正直ストレスにもなりました。
その反面、仕事が終わって帰りながら、同じパートの人と長く立ち話しすることもたびたびありました。娘の不登校の相談をしたり、たまには終わってからランチに行ったり、夜、飲みに行ったりもしました。
このころ、娘からは「仕事のストレスを私にぶつけないでよ!」と言われた
こともあります。
ですが、別の日には「ママが仕事休むと私のせいだと思い自分を責めてしまうから休まないでほしい。」とも言われました。
二学期、三学期と、娘の登校日数は急激に減っていきました。
さすがに、一人でいる時間が長すぎると思い、仕事の時間を短縮してもらいました。12時で仕事を終え帰宅します。それでもお昼はすでに食べてしまっていることが多かったです。このころは、娘にお弁当を作っていました。
登校していたら給食があるのに、と思ったことも、正直何度もあります。
でも、娘にとっての楽しみは食べることくらいだったと思います。
娘は6年生になってもほとんど状況は変わりませんでした。
中学の入学式は出席し、そのあと、友達と小学校に制服姿を見せに行っていました。
ですが、翌日からまた全く行かなくなりました。
娘が中1の年末に、私はテレホンアポインターの仕事を辞めました。
社長のやり方についていけなかったことが一番の理由です。
仕事を辞めてから、娘の体調を見ながら色んなところに行きました。
山や湖、動物園、カラオケなどなど・・・。
そして中2になってすぐくらいでしょうか、娘から手紙をもらいました。
その内容は、
「最近ママは一緒にでかけても楽しくなさそう。
だから私も楽しくない。」
というものでした。そして、その原因が自分にあるのだということも書いてありました。
確かに。
毎日毎日娘と2人きりの時間が長くて、会話も広がらないし、私も気持ち的に疲れていたな、と反省しました。
そして、また仕事を探します。
次に就いたのは、飲食店のホールの仕事で、簡単なデザート作りもやりました。
娘が中2の夏休み前です。
実は、この仕事が決まったときも娘から手紙をもらいました。
「仕事してほしくない。正直嫌です。なぜこのタイミング?」
と。
そして続きます。
「でもいいよ。ママもやりたいことがあるだろうし。
私にもいろんなことにちょうせんすることを教えてくれたから。」
と書かれていました。
成長したなー(涙)
そして仕事を始めて見ると、これが楽しかったのです!
仕事内容もですが、同じお店で働くスタッフもおもしろい人が多くて、おしゃべりするのも楽しかったです。
ですので、仕事に行くと家で抱え込んでいたモヤモヤも、しばし忘れることができました。
時に娘からは
「ママはいいね。仕事中は私のこと忘れることができるから。」
と嫌味を言われたこともあります。
でも、「忘れてなんかないよ」と答えながら仕事を続けました。
今振り返ると、娘はこの中2のときが一番荒れていました。自傷行為があったのもこの頃です。
もし、このとき仕事をせずに、私も娘と一緒に家にこもる生活をしていたら、私も精神的におかしくなっていたと思います。
いやいや、ずっと一緒にいてあげてたら自傷行為もなかったんじゃないの?
という声も聞こえてきそうですが、娘が自分の腕をかきむしったりするのは決まって私が在宅のときでした。
一番身近にいる母親が子供に近づきすぎたままだと、本人が持っている力を十分に発揮できない。とことん苦しみ、悩み、考え抜いた末に、自らの力で動き出す。
私はそれをそばで見守るしかないのです。愛情だけは忘れずに。
娘は中3になってから、いよいよ動き出すことになります。