2018年3月21日の日記
新型コロナウィルスのおかげで娘の高校も臨時休校になり、2ヵ月ほどが経ちました。
私が今仕事をしていないこともあり、娘と過ごす時間がものすごく増えました。
そんな中、ひたすら自宅にこもっていた不登校の頃の娘のことを思い出し、今はその時とは全く違う気持ちでお互いが過ごせていることがとてもありがたく感じます。
ふと思い立ち、その頃の日記を読み返してみました。
『2018年3月21日
普通の中学生の生活をさせてあげられなくて、本当にごめんね。
友達とおしゃべり、笑ったり遊んだり
そんな、今しかできない、たあいもない生活
それができないなんて本当ごめんね。
ママがもっと愛情もって接して、〇〇が自信を持って外に向いていけるようになっていれば、こんなことにはならなかったね。
本当にごめんね。
悲しいね。つらいね。
本当にごめんね。』
娘が中学3年に上がるときの春休み前くらいでしょうか。
娘が受験生になることへの不安や、中学生になってからもほとんど変わらない状態が2年も続いてしまったことへのあせりもあったのだと思います。
そして、たまにワーワーと泣きわめく娘のことがかわいそうで、何もできない自分のことが情けなく、申し訳なくて書いた日記です。
でも、
ほんの2年前
の日記なのです。
このときは、今のような状況は全く想像できていませんでした。
ただただ、絶望とあせり、そして自分への嫌悪感でいっぱいだったのです。
「ほんの2年前」の私に伝えてあげたい。
子供は、本当に親が思うよりもずっとずっと内に秘める力を持っているから、その力を信じて。
自分を責めず、子供を信じて、今を、そして今日を感謝しながら過ごすことが大事。
そして、それから2か月半ほどしてからの日記には
●喜怒哀楽などの感情表現を豊かにすること
●自身の人生を楽しむこと
●子育てを楽しむこと
●自身が幸せを感じること
とあります。
娘のことばかりが中心だったのが、なぜかここでは
「私主体」
になっているのです。
何があったのか覚えてはいませんが、本かなにか読んだのでしょう。
でも、今になって思います。
親がいつもいつも子供のことを中心に考え、注目しすぎて、その行動に一喜一憂していたら、子供は窮屈で仕方ないでしょう。
だから、ここに書いてある4つのことは、親として重要なことです。
これから2年ほどすると、高校を卒業する予定です。
でも、
「しない」
かもしれません。
卒業「できない」
のではなく
卒業「しない」
のです。
学校に行けなくて卒業できなくなるのではなく、自主的に退学を選択するというのであれば、それもありかなと思っています。
本当にやりたいことが見つかって、今の高校でみんなと一緒に授業を受ける時間が無駄だとかもったいないと思ったときには、それもありかなと。
「高校中退もありかな」なんて2年前の私では考えられないことです。
2年前の日記で、娘に「ごめんね」と謝ることしかできなかった私も、少しは成長できた証ではないでしょうか?